小栗上野介。敗者の美学

小栗上野介(おぐりこうずけのすけ)は
幕末期の幕臣にあって、一番頭が良く、志も高かったんじゃないかと思う。

アメリカ
1860年、日米修好通商条約批准のため、日本からアメリカに使節団が送られます。
明治維新の6年前です。

その中にいたのが、小栗上野介

ニューヨークで、空前絶後の大歓迎を受けます。
本人たちもびっくりしたでしょう。
黒山の人だかり
ブロードウェイを行進するはめになります。

羽織袴、頭は剃りあげてちょんまげというへんてこなヘアスタイル。
腰には長いナイフを差している。

アンビリーバボー

何故かやたらに誇らしげで目がキラキラしている
詩人のウォルトホイットマンが
「考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目」に感動したと記しています。

その中でも一際、堂々としていたのが小栗上野介
本当は、代表は新見正興(しんみまさおき)なんだけど
どこへ行っても小栗上野介だと間違われちゃう。

通貨の交換比率の見直しの交渉をする

日米修好通商条約後、日本経済は大混乱に陥ります。
大きな原因は交換比率問題
小栗は小判と金貨の分析実験をもとに主張の正しさを証明した

結果、改定にはならなかったんですが
理路整然とした資料と説明。
多くのアメリカの新聞が絶賛した記事を掲載する

どんどん
事なかれ主義の幕臣にあって、小栗の存在は際立っていた。

どんどん色んな仕事を任される。
外国奉行、勘定奉行、海軍、陸軍、製鉄所の建設、鉄砲の製造

これやっといてね
こっちもね

小栗自身も、そんなにいっぱい言われても・・、にならず
次々と提案をしていく。

幕府
でも、極端に頭が良いために、先が読めてしまう。

幕府はもう時間の問題。

親が病気で死のうとしている時、もうだめだと思っても看病の限りを尽くしますね
私は同じことをしようとしているだけです。
幕府の運命には限りがあろうとも、日本の運命には限りがない

横須賀に製鉄所を作り
その鉄を使って黒船に匹敵する軍艦の製造を計画

周りの幕臣たちは全員反対
表向きの反対理由は財政
でも、本音で言うと、
どうせそんなことしても、幕府に勝ち目はない。

小栗は横須賀製鉄所を土蔵だと言った。

どうせ持ってかれると言うのなら
その売家に、土蔵を付けて高く売ってやろうじゃないか。

株式会社
小栗は、神戸の開港に当たって、外国貿易のための「兵庫商社」という株式会社を設立する

日本初の株式会社って、坂本龍馬の海援隊、ないしは亀山社中だとされていますね。

これは、経済学者の坂本藤良教授がそう言ったからです。
でも、そのあと、坂本教授が兵庫商社の存在を知り、詳しく調べると
兵庫商社の方がより早く、より株式会社としての仕組みをより明確に持っている。

わちゃー
嘘言うてもうた。
でも、余りにも有名になっちゃったもんで
どうにもこうにも取り消せなかった。

そして、その株式の概念をより発達させて作ったのが
私が歴史に興味を持った全てのきっかけである
あの、築地ホテル。
おおおっ、これも小栗か
ありがとう。

新政府が
無血開城で江戸城が新政府の手に落ちる。

大急ぎで金庫を調べるが
どれもこれもすっからかん。

誰が持ち出した
今すぐ返せ

いえいえ、幕府に金なんて全くございません。

バカなこと言うな
全く無いなんてあり得るか

出せ、無い、出せ、無いの押し問答。

苦し紛れに、
小栗が持ち出して赤城山に埋めた、との根も葉もない目撃証言

小栗をひっつかまえろ!

捕らえられた小栗

でも、新政府
どこにあるんだ と聞くこともなく
そのまま斬首刑

これはとてもおかしい。
総じて、新政府は賊軍(幕臣)には寛容で
慶喜だって勝海舟だって榎本武揚だって殺していない。

小栗だけが極端な扱いを受けている。

小栗だけは何としても殺したかった、という意図がありあり

一番怖かったんでしょうね。

後に、大隈重信は
「小栗は殺さざるを得なかった
何故なら明治政府の近代化は、そっくり小栗のそれを模倣したものだから」
と言っている。

という事ですから
徳川埋蔵金はあるんでしょうか、無いんでしょうか

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