[仏像の見分け方]四天王の全般

仏像の見分け方
四天王です。

帝釈天の時に、須弥山(しゅみせん)の話をしました。
[仏像の見分け方]帝釈天

その須弥山の中腹で、東西南北に分かれて守ってくれているのが四天王。

四天王
東を守っているのが持国天(じこくてん)
時計回りに、増長天(ぞうちょうてん)、広目天(こうもくてん)、多聞天(たもんてん)になります。

覚えました?

地蔵買うた、と覚えると覚えやすいですよ
覚えたら、友達に自慢しましょうね

四天王知っとるか?

須弥壇
須弥山(しゅみせん)になぞらえて、須弥壇(しゅみだん)というのがあります。
仏像を置く少し高くなった台です。

例えば、お寺で須弥壇に主役級の仏像=本尊を置くとして、四方を四天王に守ってもらおうと思ったとします
本尊が真南を向くように配置したら、東西南北に四天王置いちゃうと主役が見えません。

こらこら、真ん前で踊るなよそこのスクールメイツ
みたいな感じ。

で、45度ずつずらす。
スタートの持国天は東南に置いて、地蔵買うた
そうすると、多聞天が東北を守ることになります。

なるほど、そういうことだったのか。
いつも不思議に思っていたんです。
何で、北を守る多聞天が一番人気なのか
ここ、もう一回後でね。

聖徳太子
四天王と言えば、聖徳太子です。
仏教伝来の時、仏教受入派の聖徳太子(及び蘇我氏)と、仏教拒絶派の物部氏が激しく対立。
壮絶な戦に発展する。

白膠(ぬるで)の木で自ら四天王像を彫刻し髪の毛に縛り付けた
四天王さん、四天王さん
もしこの戦いに勝てたなら、お礼にお寺を建てさせてもらうので
お守り頂けないでしょうか。

ええよ

実はこの頃は、四天王の王というぐらいなので、主役級の扱いだったんです。

四天王が守ってくれたお陰で、見事勝利。
建てたのが四天王寺です。

見分け方
ほとんどの天部の仏像は、一番最初にインドで祀られていた頃は怒った表情。
大黒天だってそうだし、弁才天だってそう。
でも、日本に来て、時代を経ると穏やかでにこやかな表情に変わっていく。

唯一の例外が、この四天王。
最初は、穏やかな表情なのに、途中から怒り出します
何があったんでしょうね

早めに謝っておきましょう
ごめんなさい。

長くなりそうなので、
お一人ずつの話は次回回しにします。

毘沙門天
詳しい話は次回として、ひとつだけさっき言いかけたこと。

四天王って基本グループ活動なんだけど
唯一ひとりだけソロ活動もしています。

多聞天です。

ソロ活動の時は、別名を使っていて
毘沙門天

ピンキーとキラーズと今陽子みたいなもんです。

七福神にも参入して、大人気。
鬼門と言われる、東北方面を多聞天が守るというのはうなづけます。

圧倒的に毘沙門天の方が通りが言い訳だから
グループ活動の時も毘沙門天にしちゃえば分かりやすいのに。

あくまでもグループ活動の時には多聞天。
理由は明確です。

地蔵こうび、じゃちょっとね

おっと失礼。

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