[百人一首]76 わたの原~

わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 
雲居にまがふ 沖つ白波

大海原に舟を漕ぎ出し 海と空をひろびろとながめれば
沖に立つ白波は 雲かとまがうばかり
なんとまあ はるけくも晴朗なながめよ

藤原忠通
前回の第75首のさしも草のいい加減な約束をしちゃった藤原忠通(ただみち)です。

そして、保元の乱もお話ししましたね
勝った方の中心人物です。

ふたつの事柄から、お調子者かつ野心家と思いきや
どうも、ゆったりというかおっとりというかそんな性格だったらしいです。
となると、さしも草のいい加減な約束も出来ると思って出来なかった。
そのまま忘れちゃった。そんな感じでしょうか。

道長の時にピークを迎え
とても長く続いた摂関政治
藤原頼道の娘と後冷泉天皇の間に跡継ぎが産まれず
次の後三条天皇から、藤原氏の影響力がグッと低下する。
そして、実質的に政治を動かすのが院政となります。

それでも藤原氏の摂関政治は続いてはいた。
特に鳥羽上皇の時は、ある程度の役割を担わせてもらっていた。
だから、摂関家の中で内紛も起きるわけですね。

さあ、保元の乱で勝利。
また、この世の春か

いえいえ、後白河天皇は、藤原忠通に対しては
そんなことありましたっけ、的な態度。

殊勲者の中では平清盛ばかりを重用します。

腹立つわあ
と3年後にことを起こしたのが源義朝で
忠通は完全においてけ堀になります。

平治の乱ですね。

勝ったのは、平清盛
平清盛のこの世の春が始まります。
平家にあらずんば人にあらず、ですね。
長くは続かず
諸行無常の鐘が鳴っちゃう訳ですが。

大きな事を起こしたくせに
忠通は、まあいっか
もう疲れたよ

長く長く続いた藤原氏の摂関政治の歴史に
忠通が終止符を打っちゃいます。

そんな性格を頭に入れつつ、歌を鑑賞してみましょう。

鑑賞
この歌の時には、忠通は38歳、関白の位にあり、崇徳天皇はまだ17歳

崇徳天皇主催の内裏歌合せで
お題が「海上遠望」
難しいお題です。

まだ、二人が義理の親子として仲が良かった頃です。

忠通の性格を表すようなゆったりとした歌ですね

わたの原は、大海。ひさかたのは雲居にかかる枕詞で特に意味はなし
雲居は雲のいる場所。ここでは空ではなくて海な訳だから、
雲のいるあたりということで水平線近く
まがふは間違える、なので
沖つ白波は、沖に立っている白波
つまり、雲居にまがふ沖つ白波、は
水平線近くに白波が立っているので、それが海の波なのか、空の雲なのか分からないくらいです。

これはまた、壮大なイメージ。
まあ、実際には水平線近くに白波が立つなんてあり得ない訳ですが
それは例によってイメージの世界なので
ありってことでお願いします。

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