明石城を訪ねて

実は「わが家の歴史を訪ねて」に行くため
明石(あかし)で電車を乗り換えるため、一旦下車

急に思い立って
明石城行ってみようか
地図
明石城
明石城って
子供の頃から、近くにあるから
行けば良さそうなもんなんだけど
行ったこと有るような無いような

あまりに姫路城が良いもんで
天守閣のない明石城にわざわざ行こうと思わない。

急に思い立ったもので
そもそも、城主が誰か自体知らずにゴー

立派なお堀
広い公園

櫓(やぐら)が2つ上の方に見える
あっちまで上っていけるのかなあ

ぐるっと向こう側まで回り込む
あっ、行けそうだね

案内図があった

あった櫓は
巽櫓(たつみやぐら、南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)

ええっと、北から子丑寅・・
辰巳が南東で、未申が南西ね
有ってる

天守閣は残ってないけど、天守台は残っている
明石の町が一望
天守閣からは、良い眺めだったろうなあ

と思ったら
後でネットで調べて分かったんだけど
天守台を作り、そのあと、天守閣を作る予定だったんだけど
予定だけで終わっちゃって
結局天守閣は作られずじまいだったんだって
その代わり、本丸の周りに4つの櫓

その内の2つが残っているということ

二つの櫓とも、元々違うお城から持って来たものだったらしいです。
すごいですね
力持ちです。

力持ちと言えば、ネットにこんな風に出ていました。

阪神淡路大震災で、明石城も大きな被害を受け、
石垣が全て崩れ、二つの櫓も傷みました。
石垣を修復するために、櫓をジャッキで持ち上げ、下にレールを敷き、
70メートルほど後ろに下げ、修理した後、また元に戻しました

すごいっ

でも、ジャッキもレールもなかった時代に
他のお城から持ってきた訳ですよね
昔の人は力持ち大賞ですね

櫓のバックに瀬戸大橋というベストアングルも

後で調べて分かったんだけど
残りの二つの櫓がなぜないのかというと
明治政府の、廃城令

お城は壊しなさい

なんで2つは残してもらえたんでしょう
そこを何とか、って言ったんでしょうね。

廃城令の話で言うと、あの立派な姫路城も例外ではない

分かりました。
民間に売って売れたなら良いでしょうか

まあ良いよ

競売にかかり、
金物商の神戸清次郎(かんべ せいじろう)が23円50銭で落札
なんと、現在の貨幣価値に換算して約十万円

じゅ、じゅうまんえん?

言ってくれればぁ

雪見灯籠と、瓦が欲しかったらしいよ

でも瓦を取るためには、解体しないといけなくて
解体費用が膨大にかかることが判明
そのままほったらかして、権利焼失

その後、陸軍の所属になって
陸軍の人がやっぱり国で保存しようよ、となった

ラッキーですね

庭園
奥の方は大きく広がって、スポーツ関係の施設が広がり、
桜の季節には桜の名所になるらしい

今日のところはそっちの方はバサッと割愛

日本庭園があるというのでそちらに行きましょう。

かなり綺麗な日本庭園です
櫓をバックに庭園というのもなかなかです。

時打ち太鼓
明石城では、時を知らせるのに、太鼓を叩いていたそうです。
鐘じゃないんですね
本所もそうでした。

それを再現すべく
今、からくり人形が太鼓を叩いてくれます。

1時間に1回、数分間のショーを見せてくれます。

父さんが
これ、川崎重工が作ったんだよ

良いですね
地元ならではの情報です。

次は何時かな
えっ、今、動いたね

太鼓は叩かなかったけど
舞いは舞ってくれました。

扇持って舞ってるよ

扇は手にくっついているんじゃなくて
ちゃんと手で持って、舞って、元の位置に扇を戻す。

やるじゃないか
ハイテクのロボットです。

残念ながら、前のガラスで写真が写せませんでした。

ユーチューブでも検索しましたが
前のガラスでいまいち見えませんね
現場だと良く分かるんですが。
時間によって、太鼓を叩いたり、舞いを舞ったり
舞の種類もいくつかあるようです。

見たのは、11時なので、剣の舞
太鼓を叩く回ではなかったんですね。

城主
後で調べました。
初代小笠原忠政(ただまさ)
小笠原という姓ですが、徳川家康の孫。
親藩です。
2代将軍、秀忠の忠の字をもらったくらいなので
かなりの大物です。

でも、九州の外様大名を監視するため、16年明石にいた後、九州にお引っ越し
そのあとは、まあころっころ、城主が入れ替わり立ち替わりになります。

頑張れ明石。

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