愛ある紀行家、E・R・シドモア

外国人から見た幕末・明治の日本シリーズ

色々、日本の事を気に入ってくれた外国人を紹介してきましたが
この人の書いた文章が一番気持ち良い

私は誉められるのが大好きですから

E・R・シドモア

アメリカのシドモアが日本を初めて訪れたのは1884(明治17)年
そこから、実に45年間、日本と深く関わり続けることになる。

1891(明治24)年に原題「ジンリキシャ・デイズ・イン・ジャパン」を著します。
邦題は「シドモア日本紀行」
人力車をその音のまま使ってくれたところが
異文化への敬意を表しています。

前書きにはこう書かれています。

これまで、科学者、学者、教授、詩人、政治記者が溢れるほど日本を紹介してきましたが
気分を明るくしたり、心地よい印象を残す配慮に欠けていました。

良いですね
紹介すりゃ良いってもんじゃないでしょ、と言わんばかり。

例えば、人力車については

彼らには、不文律の道路ルールがあり、車はお互いきちんと単縦列に並べます。
隊列の先頭に乗るのは、最長老や格式の高い人物に決まっていますが
この秩序を乱すのは、私達田舎者だけです。

びっくり仰天です。この文章。
欧米の指導のもとに近代化を進めていっているわけで
外国人さんたちは先生、すなわち目上の人として接していたと想像できますが
シドモアからみると、欧米人を田舎者呼ばわりしています。
おそらく当たり前のように前を走らせたんでしょう。

横浜の杉田梅林についての文章

あふれ返る群衆にもかかわらず、万事礼儀正しく穏やかで、しかも秩序立っています。
花の咲く木の下、夢想と恍惚に没我して座り、梅の歌を書き、
短冊を枝に結ぶこの洗練された人々にとって、これ以上の歓喜はありません。
理想郷の中で春の詩歌は無視されることなく、テーマを冗談半分に扱うこともありません。
そよ風は短冊を優しくあおぎ、吊り下がっている状態を際立たせ
行き交う人に読まれていきます。
しかし、それは不滅ではありません。
最初の猛烈な雨が紙片を濡らし、萎びさせ、すぐ残骸となって大地に落下し、消えていきます。

表現の言い回しとかは、欧米人特有のオーバー目の表現ではありますが
言いたいこと、は、この人日本人なんじゃないの?と思わせます。
諸行無常まで言っちゃってますね

この頃日本に来た外国人の書いた文章に最も多く共通するのが、混浴への批判。
当時の銭湯は混浴でした。
江戸を通じて、混浴は松平定信等、何度か禁止されては
その人が失脚すると同時にあっという間に元通り、と言うことを繰り返してきていました。

どんなに日本に好意的な人も混浴だけは批判しています。

シドモアにも、混浴に関わる記述があります。

ある日突然、変な外人が風呂場に侵入したため、
子供以外全員、深く湯船につかったままになりました。
その時、自然で当たり前の事を観察する異人の気取った理解しがたいやり方は、はっきりと軽蔑されました。
無着衣の裸体に関し、欧米人があれこれ妙な不快感を示し誤解している点を
日本人は「あまりにもくだらない話だ」と笑っています。

確かに今の我々が考えても、混浴が一般的だというのは異様な気がします。
ただ、それは批判に値すること、なんでしょうか

湯船につかっているシドモアに

お姉さんどこのお国から来なすった
ほう、メリケンで
遠いところからご苦労で
ぜひゆっくりしていっておくんなさい

とフランクに話しかけたかも知れませんね

これで良いんじゃないか、ってそう思ったのかも知れません。

富士山についての記述は

わが母国のレーニア山も万年雪に覆われ、斜面の森林がピュージェット湾内に濃い緑の影を落とし、
昔も今も変わらぬ愛すべき山です。
しかし、私たち米国人がこのような壮麗な山、雪、岩、森を持っていても
日本のように詩歌を好み自然を愛する国民を持ち合わせていません。
夢と伝説の輝きに包まれ、あらゆる人に親しまれ心を和ませ
もうひとつの富士を創造してきた日本民族の教養と伝統を、残念ながら
私どもは育んで来ませんでした。

「もうひとつの富士」か
我々の心の中にある誇るべきもの

彼女は、紀行作家にとどまらず
日本に関わるいろんな事に活動の幅を広げていく。

ワシントンのポトマック河畔に、日本の桜が立ち並んでいるのは
彼女の運動によるもの

赤十字活動や、国際連盟への協力

排日移民の動きが起きると、それに反対し
ついには母国を捨てて、スイスに亡命する

受け継がれているもの
赤面するほどのお褒めの言葉は
それに比べて、などという他者批判に使いたくない。

母国を捨てたとは言え、シドモアはやはりアメリカ人だし
このシリーズをやってみて、多くの外国人が
日本と通じ合う共有できるものを持ち合わせていることを知った。

使うべきは、繰り返しての再認識だろう。

震災後の整然とした行動だったり
ワールドカップでのゴミ集めを率先して行った事だったり。

おてんと様が見てるから
誰が見てなくってもちゃんとやりましょ
って、
我々の中に受け継がれているもの

繰り返し、日本人の良いところを再認識し
考えずとも、行動に移っているようにしなきゃね

スケートの羽生結弦は
自分がメインゲストとして呼ばれた記者会見が終わったあと
毎回、他の人の分の椅子まできっちり片付けてから会場をあとにするらしい

驚いた外国人記者たちが
素晴らしいですね、と言ったら

日本人ですから当たり前なんですよ

索引はこちら
[外国人から見た幕末・明治の日本]シリーズはこちら(少し下げてね)


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