出雲阿国はダンシングクイーン

江戸のヒロインシリーズ

ちょっとちょっと
江戸のヒロインって言うんだったら、まずは出雲阿国(いずものおくに)からじゃないの?
はい、仰る通りでございます。

出雲阿国

世の中にすごい人は数々あれど
今まで無かった大きなジャンルを、世の中に誕生させたっていうのは尋常じゃないですね

慶長8(1603)年、京都の町は、新しい芸能の話題で持ちきり

ある女性が派手派手な男装をして茶屋の女性とちょっと戯れる
それを基本的には、踊りで表現
ミュージカルって事なんでしょうか

かぶき者といわれていた男を演じるわけだけど
傾くと書いてかぶく
アンチ体制みたいな、やんちゃな感じの困り者の男達

関が原の戦いの3年後だから
色んな事が江戸の方に移りつつあって
京都はどうなっちゃうんだろうと不安な時期

今までの「踊り」は正式には、雅楽、能、狂言といった男性のみのゆったり動く世界。
一方では、庶民の間には人に見せる芸能ではなく、自分達が踊って楽しむ
お盆の行事の念仏踊りとか、風流踊りとかいうものが流行っていた。

びっくりしたでしょうね
女性が踊る?
しかも男装
題材は、いるいるああいう人、って物真似の要素も入って大爆笑だったんでしょう
踊りはリズミカルで、本音で言うと自分達にはこっちの方が馴染みがあるのよね、ってもの

そりゃ大受けでしょう
新しい時代の到来、って感じですね

出雲阿国というのは
出雲大社の巫女さんとは言っているものの、ちょっとあやしい
出雲大社から、名前を使うことのお許しは得ているようですが
京都の人かも知れません。
顔は、それほど美人って訳じゃなかったようです。

爆発的に流行したので
真似をする劇団が多数出たので
うちが一番ですよ、と天下一と名乗る

徳川家康の次男秀康が、阿国を招く
首にかけていた、水晶の数珠
いまいちやなあ
これあげるわ

珊瑚の数珠をプレゼント

我は天下一の男となること叶わず
あの女に劣りたるは無念なり
と涙を流した。

長男なき後、当然時期将軍の座は自分に来る筈がするりと素通りして
弟、秀忠のもとに行きましたからね

さあ、後発の者たちを突き放しにかかる必要があります。
かぶき者だけの一発屋ではなく、次なる人気者を演じましょう。

名古屋山三郎
とっても美男子で人気者だったんだけど
刃傷沙汰で死んじゃったばかり

その亡霊が舞台じゃなく
客席の方から登場する
この大受けの演出は
後の歌舞伎の花道に繋がっていきます。

それでも続々と人気劇団が出てきます。
一番人気は「遊女かぶき」
元々人気の六条三筋町の遊郭から
大勢の遊女が出張興業

客席も一緒に踊って
高揚と陶酔に浸る

この遊女かぶきは、各地方都市の
遊郭のあるところに飛び火して、全国的ブームになっていきます。

そうなってくると、かなりセクシー路線のものが登場し
行き過ぎってことで、とうとう女性のかぶきが禁止になってしまいます。

寛永6(1629)年、阿国がはじめてから
26年後のことになります。

その後
一度ついた火は、止まりません
女性がダメなら男性で

前髪をつけた美少年たちによる「若衆かぶき」
まだ元服していないので、前髪を剃っていないんですね

これなら良いと思いますよね

もっとダメ。
この辺が現代人には理解しがたいところなんだけど
少年を相手にした同性愛が当時横行していたんです。

これも禁止

結局、もっと落ち着いた内容の
成人男子による「野郎かぶき」とすることで
許可を得ます。

以降、芸術性を高めていき
今の歌舞伎のスタイルになっていくんです。

人気が出すぎたが故に、
紆余曲折を経て、女性が踊るというスタイルとは違ってはしまいますが
どっこい、歌舞伎という名前は脈々と受け継がれている訳ですから
歌舞伎を始めたのが出雲阿国ということは、全員異論なしでございます。

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