丹羽正伯。日本全部を元気にする方法。

江戸の理系力シリーズ

丹羽正伯
にわしょうはく 本草学 1691~1756

丹羽正伯は元禄4(1691)年、紀州藩領の伊勢松坂(三重県松坂市)に生まれます。

お父さんがお医者さんだったもので、あとを継ごうと、京都に行って修行
でも、だんだん興味が医学より、薬種の方に向いていきます。

稲生若水(いのうじゃくすい)に弟子入りします。

聞いたことある名前

貝原益軒も稲生若水に師事したんでした。

貝原益軒と丹羽正伯は生まれた年が61年も離れています。
本来出会うことのない二人。

ところが、貝原益軒は自分より25歳も若い、少年のような稲生若水に教えを乞い
丹羽正伯は36歳も年上の稲生若水の弟子となる

稲生若水を介して繋がるんですね
嬉しくなります。

稲生若水ってどんな人かというと、京都に生まれ京都で塾を開くんですが
加賀藩主、前田綱紀(つなのり)にとても気に入られ
飛び飛びで良いからこっちにも来てねと特別扱いで加賀藩に召し抱えられる。
京都と加賀を行ったり来たり。
そんな中で大書「庶物類纂」(しょぶつるいさん)に取り組む
何と362巻です。
びっくりしますね。362巻って
残念ながら、未完成のうちに生涯を閉じてしまいます。

吉宗に
時代が変わって、幕府にお世継ぎがいなかったので
紀州のお殿様が将軍に大出世
8代将軍、吉宗です。

地元大好きの吉宗は、地元から優秀な人材をピックアップ
植村政勝、野呂元丈、そして丹羽正伯

正伯は将軍に仕事を仰せつかったということで
単に学問をやっていれば良いという事にならなかった。

全ての学問は、みんなのためにあるわけだけど
もっと直接的に、全国民を元気にするという使命と仕事を賜る

必要な事を言ってみろ

そうですね
集めるだけじゃなく、育ててみたいです。

よっしゃ、土地を与える
好きなように使うが良い

与えられたのが、今の千葉県船橋に薬園台という地名があるんだけど、そこ
なななんと、30万坪

おそらく、そこに立って、吉宗の意図を感じたろう

分かっているな。お前にやって欲しい仕事はこういうレベルの事なんだ。

薬草を作って幕府に納める
それは、最低限の事だけど
「日本中を元気にする」ためにはそれだけじゃダメ
薬草を流通させて、普及させていく。

商人の力を借りよう
日本橋の薬種問屋、桐山太右衛門に協力してもらって
生産から販売までの仕組みを作っていく

行き渡ったとしても、使い方が分からないと宝の持ち腐れ
さらに、江戸だけじゃなく、全国がターゲットな訳だから
薬園台からの薬草が行き渡らないところまでなんとかしなければ

享保14(1729)年、林良適と協力し合って「普救類方」(ふきゅうるいほう)という本を書く
幕府が持っている医学薬学に関わる書物の中から
必要最低限の事をコンパクトに、誰でも分かるようなやさしい言葉でまとめ、格安の値段で販売
どこの地方でも入手可能な薬草と応急措置。
全国に普及させる。

前半は、体の部位ごと「頭之部」「面之部」「目之部」「鼻之部」みたいに
後半は症状ごと

例えば頭痛の対処法は
いたちささげを粉にして水にて溶き、こびんに付すべし
または、いたちささげを袋にして、枕にしてよし

家庭の医学、みたいな感じ

ネットで調べると、使い古してボロボロになったのが家にもありました、とか書いてあるので
よほどみんなに重宝がられたんだと思う。

享保16(1731)年から、冷夏とウンカという害虫の大量発生で、享保の大飢饉という大凶作になるんだけど
その時は、疫病が大流行したので、続編とも言うべき「救民薬方」を出す
どれだけの人が救われたことか。

まだ
これだけでも大天晴れだけど
正伯は満足しなかった。
享保の大飢饉で、バタバタと人が倒れていくのを目の当たりにしたからね

今後を考えると、もっと網羅的でもっと本格的なものを作らないと。
どうすれば良いだろう・・・

あーっ

吉宗へ
殿、お願いしたいしたいことがございます。
なんとか手に入れていただきたいものが・・

みなまで言うな
いつ言うて来るかと心待ちにしておったわ
もうすでにここに

と、殿ーーーっ

師匠、稲生若水の未完の大書「庶物類纂」362巻です。

何としてもこれを完成させるんだ
師匠、見ていてください

増補分638巻が完成
合わせると、実に1000巻にもなります。

膨大な仕事なので、もちろん自分一人ではないんです
どうしたか

今度は全国諸藩から、資料を提出させたんです。
どこでどういう薬草があるか
民間療法でどうしたら何にどう効くか

日本中を元気にするための仕事
日本中みんなで分担しようぜ

お陰で全国諸藩が医学や本草学に強く興味を持ち
それ以降優秀な人材がどんどん生まれることになります。

学者、政治
学者ってどうあるべきか、政治ってどうあるべきか
とても考えさせられます

一人でじゃなく、常に誰かに協力をあおぐ
一人でやった方が、「丹羽正伯の仕事」って手柄になるんでしょうが
そんなことしていたら、目的達成に時間がかかりすぎる。

「日本中」という視点で考えると
自ずとやることは違ってくるんでしょうね

索引はこちら
[江戸の理系力]シリーズはこちら(少し下げてね)


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