紙の博物館から下中里まで

渋沢栄一資料館に行った話の続きです。
渋沢栄一資料館に行ってきました
飛鳥山3つの博物館のうち、北区飛鳥山博物館はお盆に行きましたので
残る一つは紙の博物館

紙の博物館
ここ北区の王子は、王子製紙発祥の地。かつ日本の製紙会社発祥の地。
渋沢栄一が作ったんですね。

ということで、3つの博物館には、紙の博物館があるってことになります。

何々?紙すき体験
良いじゃないですか
時間もちょうど30分後
時間になったらここに来よう

いきなり最初でびっくり仰天
紙の材料はここです。

えっ
木、木ーやん

正直今までの人生で紙の材料について考えたことはおそらく一回もない
情けない人生を送っております。

なんで?木じゃなければ何だと思っていたの?
と問われると困るんだけど
特に考えたことがなかった。

木材パルプ?
そうそう、パルプパルプ。
聞いたことある。
パルプって木だったとは

こんな調子ですから
このあと、何見ても、ほんまかいな、知らなんだー
の連続になります。

欲しいのは繊維。
木を砕いて、さらに繊維を繋ぎ止めている、リグニンっていうのを溶かす。

色んな展示があって、なるほどなるほど
クイズとかもあるんだけど
ブッブー、不正解、ばっかり

おっといけない、紙すき体験に行かなきゃ

紙すき体験
雨なので、私と、親子のペア二組の5人だけ
教えてくれる方のスタッフはそれ以上の人数
会場とかから考えると、普通なら2~30人にはなるんでしょうね
これまたラッキー

始まるまでの間、東京メトロのコマーシャルが繰り返し流れてます。
ええ娘やわあ。東京をウォーキングしているとあちこちで出会えます。
石原さとみが紙すき体験で大喜び

スタッフさんは全員おじいちゃん
王子製紙と日本製紙のOBらしいです。
いかにも理系って感じ。
一生懸命冗談言うんだけど
そこ、もっと盛り上げて言わないと子供には受けないよ
って、心の中で応援しちゃいます。

作るのはハガキ。
世界で一枚だけのハガキです。

木を砕いてからやると大変なので、牛乳パックのシールを剥がした中の紙を使います。
水にどろどろに溶かす。
家庭でもミキサーにかけると出来るらしい。

木枠に編み戸みたいなのを張ってあるので
さっと一回引き上げるだけ
揺らしてどうのこうのもなし
編み戸に一部模様がくっついていて、その図柄が後で透かしになる
私はマンボウをチョイス

横の機械の上に置くと、下からバキュームで水分を取ってくれる
飾りを配置して
ここがセンスの見せどころね
折り紙や落ち葉なんかを
置いてあるんだけど

良いねこのイロハモミジ
イチョウも良いんじゃない

ちょっと待てよ、
透かしはマンボウ
これ、どういうシチュエーションや

上からもう一度薄く紙をすいたのを貼ってくれて
プレスしてグイグイ押す

そしてアイロンで頑張って乾かす

完成ーっ

誰に出そうかな
石原さとみが住所教えてくれたら出すんだけどな

せっかくだから、OBのおじいちゃんに質問。
和紙と洋紙って何が違うんですか

この質問多いんでしょうね
引き出しの中から答えるための材料を即座に出してくれて説明

和紙は、木の幹のところは使わずに、周りの皮のところを使うんですって
こうぞ、とか、みつまた、っていう植物の皮

あっ聞いたことある
こうぞ、みつまた

そういうとみつまたは、この前向島百花園でも見たぞ

その皮の繊維は長いから
薄くて丈夫な紙が出来る

作り方の原理は同じ。

展示
展示に戻って、製紙工場の工程とか
紙の歴史とか

仏教伝来より紙の歴史の方が古い可能性がある

やっぱり、お経を書き留めるというニーズが一番重要で
その後律令制で手続き上の書き留める必要性。

紙の三大用途は
書く
包む
水分をすいとる
らしいんだけど

やっぱり、書く為に始まったんですね。

ああ面白かった。
ちょうど雨もやんでくれた

「晩香廬」と「青淵文庫」
渋沢栄一資料館のチケットで、渋沢栄一の住居跡、
「晩香廬」(ばんこうろ)と「青淵文庫」(せいえんぶんこ)にも入れます。
民間外交で、退任したばかりのアメリカ前大統領グラント将軍を招いたときも使われました。

さすがって感じだけど派手派手ではない。
残念ながら内部の写真OKは一部だけね
晩香廬

青淵文庫

あとは動画でね

一里塚
西の原の一里塚
本郷通りは、江戸時代は、日光御成道と言って
日光街道の補助的道路で、なぜか将軍が日光の家康を参拝するときは
日光街道ではなく、途中までこの日光御成道を使った。

ということなので、こちらにも一里塚があります。
西の原の一里塚は日本橋から二里目
一里塚が、当時の形で残してあるのはかなり珍しく
東京では二ヶ所しかありません。

地震の博物館
こちらは、無料なんだけど
時間も経っていたので覗いただけね
うわあ、すごい

平塚神社
江戸時代よりずっと前、豊島氏がこのあたりを治めていました。
太田道灌に滅ぼされちゃうんだけど
豊島氏の拠点となるお城がここ。
昔なので、天守閣みたいなそういうのではなく
古城で土が盛ってあって攻めにくいように堀や土塁など

平塚神社の裏手辺りのはずなんだけど
よく分からない。

神社の人に聞いてみた。

この奥に、鎧塚があるんですけど
今は非公開なんですよ。

何とか、雰囲気だけでも。

回り込めはしないですが
土が盛ってある感じだけは
神社の横からご覧いただけますがそこまでです。

残念!
良く分かりませんでした。

どこ行こう、そうだ!おでかけマップ


ハナトラノオ(カクトラノオ)

花カレンダー始めました

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です