3/6 啓蟄 ひな祭り

二十四節気シリーズ
いよいよ最後です。

私は啓蟄から二十四節気に興味を持ちました。
何かかっこいいですよね。漢字も難しいし。

啓蟄   けいちつ  虫が冬眠から目覚める頃  03月06日
(旧暦:1月30日)

雛祭り
♪あかりをつけましょ ぼんぼりに~

5節句のうちのひとつ。上巳(じょうし)の節句と言います。
3月に入って始めての巳(み=へび)の日
昔は、十二支は年だけではなく、日にも割り当たってましたから

平安時代にまでさかのぼります。
貴族の間での風習で、紙の人形を作って、体を撫でる
悪い厄を人形に吸い取ってもらって川に流す。
今も、流し雛っていうのがありますよね

江戸時代になると、中国のから月と日が同じ日は運気が強くなりすぎるから、
厄払いしましょうという考え方が入ってくる
同時期に、五節句が決められていって
上巳の節句は3月3日に固定化。
5月最初の午(うま)の日だった端午の節句は5月5日に固定化されるのと一緒。

ちなみに、3月3日と5月5日と7月7日は毎年全部同じ曜日。(今年は全部日曜日)
なぜかはこっちを見てね
日にち言ってみて 曜日当てるから

江戸前期も雛人形はまだ紙でしたが
江戸中期の享保年間、吉宗の時代あたりになると、
裕福な家を中心に今のような小型の座り雛(内裏雛(だいりびな))が登場してきます。
享保雛(きょうほうびな)と言います。

後期になると
日本橋の十軒店(じっけんだな)と言われる雛市がたつようになっていきます。
明和年間に人形問屋大槌屋(おおづちや)が
十軒店の人形師原舟月(はらしゅうげつ)に作らせて売り出したのが古今雛(こきんびな)

いっそう写実的になり、それまでは筆書きされていた目に、ガラス玉や水晶をはめこんだものも作られるようになりました。
そして、最初二人だけだったのが、五人囃子のように人が増えていきます。

庶民はそんな高価なものは手が届かない訳ですが
お母さんが布でそれっぽいお雛様を作って女の子に与えたり。
わーい
そのまま、人形ごっこで大切に扱われます。

ちなみに、雛壇の飾り方に一定の決まりはありませんでしたが
大正御大典(天皇の即位式)の後から、
内裏雛の男雛を左に、女雛を右に飾るようになりました。(東京)

わが家の雛祭り
わが家には娘が二人もいます。
さらにセキセイインコまで含めると4人(?)

なかなか嫁にいけないのは、今までひな祭りをやっていなかったからではなかろうか

よしっ

お寿司大好きな次女には特別バージョンの海鮮ちらし

はまぐりのお吸い物は絶対飲まなきゃダメだよ

なんで?お雛様に関係あるの?

貝合わせとかやるじゃない
貝って、ピタッと合うのが世の中でひとつしかないから
一人の旦那様に一生添い遂げるっていうことね

ふーん。古い考え方だね。

まあ、そうね。

二十四節気
これで一通り二十四節気が完了です。
丸一年かけてきましたので感慨深いものがあります。

ネタのひとつとした「江戸の暮らしの春夏秋冬」
後表紙に
江戸の庶民は働く間もないほど「遊び」に忙しかった?!
とあるんだけど、本当にそうなんだろうな、と思う。

以前に貴族がやっていたこと
武士がやっていること
神社や寺院でやっていること

全部引っくるめてどーんと取り入れる。

まさかこんなに色んな行事があるとは思っていませんでした。

テレビやラジオがあるわけじゃないから
全て自分が能動的に動き回らないと遊べない。
必死で遊んだ、って感じ。

花が咲いた、葉が色づいた、虫が鳴いた、月が丸い
真ん丸からちょっと欠けた。
そのシーズン初めての初物が出た
この日はみんなで掃除
何でもかんでもイベントにしちゃう

金を持っているかとか身分とかどうでもよくて
行動規準は粋か野暮か

どうにもやることがないときは、枯れ野観賞
枯れ野なんてどこにもあるのに
わざわざ遠くの枯れ野に出掛けて行って
ああ風流だと一句ひねる。

面白い人達。

みんながそんな風に仕事そっちのけで遊び回っているから
誰も不思議だとは思わない。

面白い時代。

索引はこちら
[暦]シリーズはこちら(少し下げてね)


アルメリアバレリーナ

花カレンダー始めました

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