[赤穂浪士]なぜ吉良家は威張っていたのか

赤穂浪士をシリーズ化してまいりましょう。

今回は、そもそもなぜ吉良家は威張っていたのか。

吉良家
実は吉良上野介って、大名ではありません。
大名は知行高1万石以上で、その下は旗本
吉良上野介は4200石で旗本です。

赤穂の浅野内匠頭は大名ですから、知行高からすると浅野内匠頭の方が格上

ところが、ややこしいんですが、
朝廷からもらえる官位というのがあります。
「官」は役職、内匠頭(たくみのかみ)や上野介(こうずけのすけ)は役職です。
内蔵助(くらのすけ)もそう。
ずいぶん昔の役職なので、形骸化しています。
問題は「位」

文字通り、位です。
一般的に普通の大名は、従五位下
浅野内匠頭も従五位下

吉良上野介はというと、なんと従四位上
老中より位が上だったりします

ということなので、奥さんの実家もすごい。
あの上杉家になります。

結論的に言うと、位が上だから威張っている訳です

でも不思議ですね。
旗本のくせして。
この訳は、室町時代まで歴史を遡る必要があります。

高家
江戸時代の徳川家には、御三家というのがありましたね。
尾張、紀州、水戸

それと同じようなのが、室町の足利家にもあったんです。
世継ぎが産まれなかったとき、
足利家から分家しても、足利尊氏の血を引いているから
スペアとして、その家から養子をもらって継いでいくためのスペアの家。
それが吉良家であり、今川家なんです。

名門です。

家康は、若いとき今川家に人質に出されていたから
その事を散々聞かされている。

人質が解かれて、三河に戻ったとき、ひとつ自慢があった
吉良家は二つに分かれるんですが、その内のひとつ、三河吉良家というのが
自分の三河領内にいる

当時、三河吉良家は落ちぶれて見る影も無かった。
よって、徳川に何らかの形で取り立ててもらう以外、お家存続の道がない。

これはプライドをくすぐられます。

ただ、それなりの知行高を与えちゃうのは脅威に繋がる。

おだてながら、実質的にあまり力をつけられない、特別な役職を作ろう。

神社への参拝とか
朝廷の接待役とか。

グッドアイデアです。
高家(こうけ)という名前にしましょう。

高家の高とは、足利高(尊)氏の高です。

せっかくですから、天皇家に血が近い大沢家とか
もろもろ合わせて、高家としましょう。

血が問題なので、当然世襲制になります。

何だよ、名門だからって威張っているなんてやっぱり嫌な奴、ってなりそうですね

高家肝煎り(こうけきもいり)
名門なら、有職故実や礼儀作法に詳しいのではないかという理由での役職ではあります

名門は全員礼儀作法が極めてよろしいかと言われると、そういうもんでもないですね。
でも、職に就いたからには、努力して期待に答えようじゃないかというのが、真面目な日本人。

徹底的に古くからのしきたりを調べあげ、
しきたりや礼儀の事なら何でも聞いてちょうだい、って頑張り屋さんも出てまいります

ここからは実力の世界。

高家の中でも、個人として特に優れているというビッグ3を選びました。

大沢基恒、畠山義里、吉良義央の3名

そう、吉良上野介は、家柄だけで威張っている、単に嫌な奴ではなかったんですね。

従四位上にしたって、他の高家はほぼ全員従五位下
大沢基恒が従四位下になり
とうとう、吉良義央が初めて従四位上になった。
実力で勝ち取ったと言うことです。

実際に朝廷からお使いの人がやって来る本番では
とても一人じゃ無理。

高家肝煎りを筆頭として、臨時のプロジェクトチームが召集されます。

そのメンバーには各大名が選ばれます。
これも大変に名誉なこと。

そこに選ばれたのが、浅野内匠頭ということです。

しかも、2回目で異例な事です。

なぜ2回選ばれたかというのは、理由があるので、次回ね

いずれにしても、高家肝煎りは、人生の全てをこれにかけており
ビッグ3に選ばれたプライドも半端じゃありません。

しかも接待というのは相手があることなので
ここまでで及第点というラインがある訳じゃない。

ピリピリするなかで、確執が出てしまったかも知れませんね。

もともと、性格が悪かったというのは、ひょっとしてあるかも知れませんが
言葉を変えると、妥協を許さない仕事のプロだったのかも知れません。

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