[赤穂浪士]12 近松勘六。いつも池に落ちるのね

赤穂浪士シリーズです。

近松勘六
表門組 玄関固め 馬回り 34歳

祖先は清和源氏(清和天皇を祖先とする一族)というすごい血筋。
父は名医で有名である一方、山鹿素行から直接兵学を学んでいた文武両道(ぶんぶりょうどう)の人であり、
勘六自身も兵学に詳しく頭の良い冷静沈着な男だった。

4歳の時に、母親と死別。

義母に、弟三人、妹二人が生まれた
一番上の弟は、奥田孫太夫のところに養子に行った、奥田貞右衛門
奥田孫太夫、奥田貞右衛門も四十七士です。

義母にも親孝行だったけど、乳母に対しても同じ。
討ち入り前に遺書を送り、老後の面倒を見れないことを謝っている

自分の家来である甚三郎(じんざぶろう)にとても慕われていて
甚三郎に、討ち入りをどうしてもお供したいと懇願される。

結局は断るんだけど
甚三郎は、心配で心配で、当日門の前までこっそり見に来る。

うまくいったことを知ってほっと胸をなでおろし
みんなに餅とみかんを配る

甚三郎はその後、近松の名を名乗ることを許されます。

討ち入り
表門組として討ち入りに参加し、吉良の屋敷から逃げ出してくる敵と戦った。
清水一学と斬り合って庭の池に落ちたエピソードが有名

本当は、実際にたたかったのは清水ではなく山吉新八。

そのときに、雪で足を滑らせて庭の池に落ち怪我をした

年末と言えば毎年やっていた忠臣蔵では、毎回池に落ちるんです。

吉良の屋敷からひきあげて泉岳寺に向かう途中は、
歩けなくなり駕籠(かご)に乗って移動しました。

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