赤穂浪士シリーズです。
近松勘六
表門組 玄関固め 馬回り 34歳
祖先は清和源氏(清和天皇を祖先とする一族)というすごい血筋。
父は名医で有名である一方、山鹿素行から直接兵学を学んでいた文武両道(ぶんぶりょうどう)の人であり、
勘六自身も兵学に詳しく頭の良い冷静沈着な男だった。
4歳の時に、母親と死別。
義母に、弟三人、妹二人が生まれた
一番上の弟は、奥田孫太夫のところに養子に行った、奥田貞右衛門
奥田孫太夫、奥田貞右衛門も四十七士です。
義母にも親孝行だったけど、乳母に対しても同じ。
討ち入り前に遺書を送り、老後の面倒を見れないことを謝っている
自分の家来である甚三郎(じんざぶろう)にとても慕われていて
甚三郎に、討ち入りをどうしてもお供したいと懇願される。
結局は断るんだけど
甚三郎は、心配で心配で、当日門の前までこっそり見に来る。
うまくいったことを知ってほっと胸をなでおろし
みんなに餅とみかんを配る
甚三郎はその後、近松の名を名乗ることを許されます。
討ち入り
表門組として討ち入りに参加し、吉良の屋敷から逃げ出してくる敵と戦った。
清水一学と斬り合って庭の池に落ちたエピソードが有名
本当は、実際にたたかったのは清水ではなく山吉新八。
そのときに、雪で足を滑らせて庭の池に落ち怪我をした
年末と言えば毎年やっていた忠臣蔵では、毎回池に落ちるんです。
吉良の屋敷からひきあげて泉岳寺に向かう途中は、
歩けなくなり駕籠(かご)に乗って移動しました。