家康10 秀吉と家康、どっちが上?

本能寺の変から、1年半ほどが経ち
秀吉が大きく勢力を伸ばしたとき
この時の状況を3つの視点から整理しておきましょう。

織田五大将
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉
明智光秀は秀吉に滅ぼされますね。
残りですが
秀吉に丹羽長秀がつき
柴田勝家に滝川一益がつきます
柴田勝家が秀吉に滅ぼされたので、勝負あり!

有力大名
天下を狙える有力大名は
九州を制圧しつつある島津
四国をほぼ手中におさめた長宗我部
中部五国の徳川
関東八州の北条

中国地方の毛利が秀吉の傘下に入ったので
残りは、ほぼ同じ規模のこの四勢力になります。

信長の息子
信長には、信忠、信雄(のぶかつ)、信孝という3人の息子がいます。
信長が死んだ後、継承するのはやはり息子のいずれかということになりますね

長男の信忠
当然最有力候補です。
残念。本能寺の変で、信長と共に死んじゃった。
はい、消えた!
なんだけど、長男というのはどうにも強い
重要なものを残していきます。
幼名三法師、後に秀信となる長男です。
信長の嫡系の孫
当時、まだ赤ちゃんですけど。

さあ、この秀信と信雄と信孝がどう利用されるかという形で歴史は動いていきます。

秀吉は誰を利用したか
三人ともです。

まず三男信孝
信孝と共に明智光秀を討ちます。

でも、ここまで

柴田勝家が信孝と結んだとなると
秀吉は、次男の信雄と結び
信雄に信孝を殺させます。
正確には、自決に追い込んだんですが。

家康
整理がついたところで、家康はどう出たか

いずれは、対峙しなければならないとは思いつつも
自分から仕掛けるつもりは全くなかった
おそらく秀吉は、徳川五国へ攻めてくるだろう
その時に、何とか自国を守り切らないといけない。
自分が天下を取ろうとは全く思っていない。

そのために、北条等の諸国と、外交で味方を増やしておこうと懸命になった。

その決め手になる外交相手が、信雄だった。
ここは、かなり早めに手を打っている

信雄が秀吉と結んでいるその時期。

信雄って、考え方がいまいちな人で
右手で秀吉と握手しながら
左手で家康ともそっと握ろうとした。

岡崎城で密会しましょう。

具体的な約束は一切せず、ただ誉めちぎって
信雄を気持ち良くさせる作戦
信長がいかに素晴らしく、恩を受けたか
その思いは、信雄様に対しても寸分変わりませんと。

秀吉から
一方、秀吉は、家康をどうしようとしていたか。
他の、島津や長宗我部や北条は力で倒そうと考えているが
家康に対してだけは違っていた。

懐柔作戦

何をしたかというと、位を贈った
朝廷に圧力をかけ
家康に「正四位下 左近衛権中将」
もらってあげましたと手紙を送る

はあ?
頼んだ覚えもないし、欲しいと思ったこともない

この時、秀吉は「従四位下の参議」なので
自分より高い位を贈った事になる

普通はそういった豪華なプレゼントをもらうと
お礼を言うために訪れるだろう。
それがすなわち、世間的に秀吉の傘下になったということ。

ところが
家康は、礼状を送っただけ

うーん

次どうしたか

それから四ヶ月も立たないうちに
「従三位参議」

これはすごいです。

でも、
また礼状を送っただけ

このやろう

信雄
分かった
まあ、引き続き色々動くとして

信雄の方を何とかしよう。

信雄が裏で盟約を家康と結んだもので
態度がどんどんでかくなってきた。

秀吉も家康もいろんなことしていくんだけど
結局のところ
ほとんど何につけても秀吉の方が上手

天才だし、人間的魅力で人を引き付けられる
権謀数術にも長けている
結局の最大の武器は
どんなはかりごとをしても、それを隠してしまうだけの
天性の飛びきりの明るさなんでしょう。

信雄に対しては
噂を流すという作戦を取った

「秀吉が信雄を殺そうとしている」
そんな噂を自ら流させる。

信長の息子である以上
秀吉から手を出す訳には行かない

信長の孫、三法師を腕に抱き
信長の後継者に刀を抜いたという形を作らせる。

一方の家康も
ここでグズグズしているより
そろそろ信雄に動いてもらっても良いんじゃないかと思ってきた。

双方の思惑が一致したことになる

さあ、どう動く

続きはシリーズの次回ね

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梅 八重冬至

花カレンダー始めました

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