稲荷。狐と初午

稲荷、その不可思議なるもの
の続きです。


稲荷と言えば狐

狐自体は祀られている神様じゃなくて、その「使い」に過ぎません。
なんで狐なんでしょう

春先に山から里に下りてきて、秋の終わりにまた山に帰るという狐の習性が
稲の収穫の神様の動きに一致すること
狐の色が、稲穂の色と似ていること
狐が身近な動物で、田の周りでうろうろしていること
というような、いくつかの条件が重なったんだと思います。

狐が、他の神様の使いとちょっと違うのは
狐自体に霊力があると思われていたこと
そういう意味では、
春日神社の鹿、日枝神社の猿、八幡神社の鳩、熊野神社の烏等の、使いよりは、
神様に若干近い。

例えば、王子稲荷の大晦日の狐火のように
翌年の豊作を占ったりする

霊力があって、さらに人間にのり移ることが出来ると考えられた。
例えばこんな感じ

釘谷清左衛門の年季奉公で14歳の定吉
ある日、主人と共に、神田明神へ
主人を待っていて、つい居眠り。
その間に狐が憑いた。

定吉は、主人たちがいる座敷に走り込み
主人に「清左衛門」と呼び捨て
どうしたどうした

我は明神の門を守る野狐なり
その方どもに言い聞かすべき事ありて定吉に憑きたり

神田明神の神主も立ち合って聞く

神田明神では新しく「定吉稲荷」を建て、庶民の大人気になる

こういうのを、流行り神(はやりがみ)と言って
一時的に大流行する
多い流行り神は、太郎稲荷だなんだと狐憑き由来のもの

いわゆるイタコみたいなイメージで、
神様の考えていることを人間の言葉で聞ける有難いもの
お告げともイメージが近いですね

ただ、一般的には狐憑きは厄介なものとして認識される方が多い。
人格が変わったり、おかしな行動を取ったり。
何とかして狐を落とそうとする。
祈祷してもらったり、
極端な場合は火責め、水責めも

西洋の魔女狩りを思い出すのでちょっと怖いですね。
ただ、狸に比べると、ユーモラスな感じはないにしても
そんなに悪いイメージはないですね。
イメージ向上に役立っているのは、お寿司のおいなりさんかなあ

正一位(しょういちい)
稲荷をイメージづけるものは、鳥居と狐ともうひとつ
「正一位稲荷大明神」ののぼり

正一位というのは、朝廷から与えられた位
人間については、正一位から少初位下(しょうそいのげ)まで30段階
神様については、正一位から、正六位上まで30段階
稲荷の正一位は、最高の神様である証

本当?
稲荷だらけで、稲荷にはほぼ正一位ののぼり
権威もへったくれもないですよね

実は、稲荷の正一位は、朝廷から与えられたものではない
江戸時代に、幕府から神道の家元として認められた吉田家が
朝廷の許可を得ずに与えたもの

江戸の稲荷は、京都の伏見稲荷から勧請したというような正式なルートを辿っていないのがほとんど
だから数が多い訳です。
ええい、作っちゃえ、という、ゆるーいもの。

なんだか、突然現れたけど、ちゃんとした神様なの?
と言われそうだから
逆に、稲荷だったら正一位の幟をくれると言われれば
はい、稲荷にします、ってなりますね。

初午
稲荷の一番のお祭りは、初午(はつうま)
2月の初めての午(うま)の日
江戸での稲荷は、めったやたらに色んなところにあるので
江戸中で一番盛り上がる日になります。

各戸口に、地口絵が飾られます。

稲荷社の前で、近所中の子供たちが太鼓を打ち鳴らして、踊る

この日ばかりは、武家屋敷も子供達に解放
お屋敷内で遊んで良いし、色んな余興も催される。

当時は子供はすぐ死んじゃう事の方が多いので
子供は町中の宝物
子供が喜んでいる姿を見るのは大人だって楽しい。

そして、無事に元気に育った子供には、一大イベントが待っています。
何歳とは決まっていないけど、一定の年齢になったら、寺子屋に行きましょうとなる
実はいつから通っても良いんだけど
何となく慣習として、初午の日からとなっています。
要は、初午は、今の入学式の日です。

目のあくも いずれ稲荷の いの字から

目があくとは、字が読めるようになること
寺子屋で初めて習う児はいろはのいの字
稲荷のいの字でもあるので、縁起を担いで初午ということのようです。

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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