稲荷、その不可思議なるもの

[神社] 稲荷って何?
の続きです。

その他何でも
元々渡来人の神様で、神仏習合で荼枳尼天(だきにてん)と習合した

稲作の神様ということはかなり信仰の中心にあることは理解できる
でも、それだけで、ここまで爆発的な数になるだろうか

稲荷って、為政者が推し進めた神というよりは庶民から沸き上がった、草の根的な神様

ちょっとした、願い事を叶えてほしいときに、一番身近にいる手の届きやすい神様

広げるために努力したのは、稲荷行者や稲荷勧進僧と呼ばれる人達
いわゆる祈祷師で、色んなところに出掛けていって祈祷を行った。

草の根的なので、大きな組織で旗振り役がいて、地域の担当を分けてそら行け、みたいな感じじゃない。
みんなが個人事業主のような感じ。
説明が分かりやすい方が良いので、ある程度浸透していた、稲荷という表現をする人がたまたま増えていった。
目に見える方が良いので、稲荷行者が勝手に伏見稲荷の稲荷山の中にお塚を作る

そして、京都に呼んで、自分のお塚を見せて、拝んでもらう。

はい、ここが、私専門の神様ですよ。

おおっ。うちの行者どのは大したもんだ。
あの伏見稲荷の中に独自の神様を持っちょる

たまにしか行けない京都だけじゃ、心が離れていく。
日常で拝んでもらう必要がある。
まずは、大得意様である武士
武家屋敷に、屋敷を守る土地の神様がいると称して
屋敷の片隅に、小さな祠と鳥居
そこで祈祷。

あれっ
稲作と関係無さそうな
みたいな、理屈は横に置いて
何でもかんでも受け入れられそうな事には全て手を出すところが、稲荷の強さ。

次には金を持っている商人。
商売の神様に早変わり。
お店の片隅に祠と鳥居

金を持っていない一般庶民も大丈夫。
長屋の端っこに、祠と鳥居
まとまればOK
コープさんの共同購入みたいですね

伏見稲荷
総本山、伏見稲荷の特徴と言えば、お話ししたお塚

実は、このお塚が大きく増えていったのは明治以降
廃仏毀釈の影響

廃仏毀釈では、神社神道と仏教を明確に区別するというだけではなく
おかしな信仰は排除しようという流れも含んでいる。

各地のおかしげな信仰に関わるものはことごとく壊された。

でも、やっぱり自分の神様がほしい人は、
伏見稲荷のお塚を思い出し、稲荷山の中に、隠れてお塚を作った

勝手に作るわけですから、神社側は迷惑
定期的に取り払っているらしい

それならば、と、次に出てきたのが千本鳥居

出ましたね。伏見稲荷と言えば、千本鳥居
さぞや昔からあるんだろうと思うが
江戸時代の資料には何を見ても、千本鳥居がない

千本鳥居も、明治になってからなんですね。

お塚が取り払われるんであれば、
変わりに、鳥居を奉納しましょうと。

これだと神社側もお金が入るし
奉納する側も、ちゃんと名前を書いてもらえる

明治35年の時点で、633基
それから、30年たった昭和7年には、2254基にもなった
文字通りの千本超えですね

昭和42年には、7762基
65年の間に、10倍以上増えたことになる

もう今は1万を超えている筈
万本鳥居に名前を変えないといけませんね

さらにすごいのは
増えすぎるため、どんどん古いのは廃棄しているということ
鳥居には奉納者の名前と、奉納した日時が書かれているのだが
とっくの昔に、昭和のものは一本もない

お塚の前に設置する小さな鳥居に至っては
あまりに多すぎるので、一週間ほどで取り払われてしまうらしい

次回は、狐の話や、初午の話をしますね

[神社]シリーズはこちら(少し下げてね)

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