小石川七福神巡り。その3

小石川七福神巡り。その2
で後回しにした、伝通院の第三のテーマです。

ジュゼッペ・キアラの供養碑
Google mapを見ると、伝通院の敷地内に、「ジュゼッペ・キアラの供養碑」とある
はい?

徳川家の菩提寺というイメージから、ちょっと変わったカタカナの名前
ググってみよう

すると、先程行った、キリシタン屋敷跡に最初に入れられた人というじゃありませんか
な、なんとこんなところで繋がるのか
シドッチより前にそんな人がいたとは

そもそも、自分が書いた、シドッチの記事の中で、ジュゼッペ・キアラの名をあげていました。
あらま、自分で書いていたのね
失礼しました。

供養碑です。

ジュゼッペ・キアラは、いわゆる「鎖国令」を布告した直後であり、厳しくキリスト教を弾圧していた頃の人
シドッチより、ずいぶん前になります。

まず、イエズス会司祭クリストヴァン・フェレイラが長崎で捕まり
穴吊りという厳しい拷問の上、棄教させられる。

それを聞いたイエズス会が黙っちゃおれんと、10人の神父を日本に送り込んだ中のリーダー的人材が
ジュゼッペ・キアラ

彼らもすぐ捕まってしまい、穴吊りの厳しい拷問を受ける
結局、ジュゼッペ・キアラも棄教させられ
転びバテレンと呼ばれ、キリシタン屋敷に入れられる

キリシタン屋敷の中では、人間的な生活は保証されていたようです。

そして、ジュゼッペ・キアラは幕府より命じられ
キリスト教の教えがどういうものかを「宗門大要」という本にまとめます。

例えば、十戒に関してはこんな風に書いてあります。
十箇条のマンタメント(Mandamento)はデウスよりの御掟の事
第一、 御尊体のデウスを万事に越えて御大切に存じ、尊み奉ること
第二、 デウスの尊き御名にかけて、空しき誓すべからず候こと
第三、 御祝日をつとめ守るべきこと
第四、 父母に孝行にすべし
第五、 人を殺すべからず
第六、 他犯すべからず
第七、 偸盗すべからず
第八、 人を讒言すべからず
第九、 他の妻を恋すべからず
第十、 他の物を猥に望むべからず
右十箇条はすべて二箇条に極まる也
一には、御一体のデウスを万事に越えて御大切に存じ奉ること。
二には、わが身の如くに、他人を思ふべき事是れなり

今なら「愛」、と訳しているところ、「御大切」と訳しているんですね
これを読めば、幕府の現場の人達は、日本と一緒じゃない何がいけないんだろうと思ったでしょう。

ジュゼッペ・キアラを一躍有名にしたのが遠藤周作
ジュゼッペ・キアラをモデルとして、「沈黙」という小説を書いた。
第2回谷崎潤一郎賞を受賞し、代表作となります。
後に、篠田正浩監督により、『沈黙 SILENCE』という題名で映画化もされています。

やはり圧巻は、踏み絵を踏む場面
彼を慕って、キリスト教を信じた信者たち
彼らも拷問に耐えかねて、棄教を既にしているのだけど
ジュゼッペ・キアラ(小説の中ではロドリゴですが、キアラと表現することにします)が棄教しないうちは、拷問が続く

彼等のうめき声にどうにもならなくなる。

踏み絵を踏むことを決意するのだが
踏むべき足に激痛が走る
頭では踏もうと思っていても、足が逆に反応してしまうのだろう。

そんなキアラに、キリストの声が聞こえる
お踏みなさい。私は弱いもののために存在するのだから
その足の痛みを分かち合うために存在するのだから

遠藤周作自身、全てに納得してキリスト教信者になったわけではなく
親に半ば強制的に信仰させられる。
小説には、弱い人たちがいっぱい登場し、キアラを告げ口したりするのだけど
そんな人たちの事を、自分をモデルにしたと語っている。

最後は踏み絵を踏むわけだから
キリスト教側の人達からすると、大問題
一次、キリスト教の内部では禁書扱いになったほど、大問題を引き起こす。

でも、遠藤周作の中では、弱者の神というのが何度も小説の中で繰り返されるテーマとなる。

キリスト教弾圧や、踏み絵って、やりきれないです。
歴史から何を学べば良いんだろう

おでかけマップ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です