徳川昭武と最高の時間。の続き

徳川昭武と最高の時間。
の続きです

戸定邸(とじょうてい)
奥の方に行きました。
家族エリアです。
実にいっぱい部屋がある

ほっこりしたのはお母さんの部屋
年老いたお母さんを呼び寄せます。

客間同様、富士山が見える向きで作り
小さいながらも庭も作る
欄間にはお母さんの出身の家紋からのデザイン

親孝行だなあ
ぐっと来ます。

お風呂は湯気がこもらないよう天井が格子状

こんな天井見たことない

元の客間に戻ってきて

言い忘れてました。
これ見てください。一本杉なんです

うおおおっ

決して華美ではないんだけど、こういうところに金をかけるのが
日本の大邸宅ですよね

言われないと分かりませんもんね
職人の誇りと生きざまですね

ここの欄間を見てください
葵が2枚

そしてこちらの釘隠しは4枚

うわあっ
これは

昭武は並外れて優秀だった
そして倒れた幕府の親玉の弟
反政府勢力が昭武を担ぐととても危ない
新政府はとても大切に扱った

こんな大邸宅
普通に考えて絶対無理です。

首をとられてしかるべきですからね

そんな話は一切出なかったんです。

それに対する感謝の気持ちがこれなんですね
客間だからおもてなしが必要
葵は使おう
でも、三つ葉葵は使いませんよ
それが、生かされている自分の礼儀だ、って事ですね

ありがとうございます。
本当に楽しかった。
楽しかったです。

戸定歴史館
パリ万博の時の資料を中心としながら
昭武とその一行の事が詳しく。
そしてその後の、慶喜と昭武と渋沢栄一の交流
そしてフランスの将軍との再開

でも、残念。
写真NGだったんですよね。

パリ万博の時の日記とかもあったんですが
みなさんのビックリするほど字がきれいでした。

ひとつ、新たな発見が、山高信離(やまたかのぶあきら)という人の存在
パリ万博一行の、実質的総責任者であり、昭武の教育係のトップ

そういう人の存在は知っていたんだけど
すぐに、やってられるかいみたいなことで帰国し
その後の実質的な責任者が渋沢栄一なんだと思っていた。

違っていました。

帰国しちゃったのは、水戸藩から随行した人たち
フランス側の教育係と喧嘩をして
教育係を解任されちゃうんだけど
ちゃんと最後までいたし
とても優秀だった。

少なくとも、歴史館のイチオシは、渋沢栄一じゃなくて山高信離
渋沢栄一の小説を読むとどうしても渋沢栄一メインで描くけど
もうひとりとても優秀な人がいたんですね

明治になって、渋沢栄一もそうだけど
幕府の人間でありながら
新政府に重用された

パリ万博の経験を買われ
日本の関わる博覧会は長きに渡って、ずっと山高が総責任者

カフェ甲冑(かっちゅう)
敷地内に松雲亭というカフェがあるんだけど
松戸手作り甲冑愛好会がこの場所をイベントとして借りたということでしょうか
カフェ甲冑というのぼり

愛好会のメンバーが一生懸命呼び込みをしているので
コーヒーにクッキーが付いて500円とちょっと高めではありましたが
入ってみましょう。

厚紙で作った甲冑がいっぱい展示してあります。

隣にいたカップル
かぶとを被ってみて良いですか

良いですよ

彼がかぶとを被り、
彼女が写真をパチリ

かっこいいよ

そうかなあ

はいはい

その流れで
私にも
被ってみます?

えっ良いんですか

写真も撮ってくれました

作り方も丁寧に教えてくれました。

手先が器用だとか、美術的センスだとか
そんなものは何も要りません
ただただ根気です。

こりゃ、500円は安かったね

庭もとても広かったし高台なので、眺めも良かった



浅間神社
戸定邸をあとにし、浅間神社

えっ
こ、これは

確かに先程の戸定邸といい、起伏の激しい土地ではありますが
いきなり、どーんと山
奇跡の地形ではないでしょうか

浅間神社ですから富士山がらみ
よく富士塚とかで人工の山を作ることはありますが
ここは、おそらく自然の山がたまたまここに
というか、たまたまあった山を丸々利用して浅間神社にしちゃった

二合目、三合目の杭が楽しい


鈴の音色がそれぞれ違っていて面白かった。

最後、松戸公園を経て、戻りました



おでかけマップ

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