日本列島の歴史

「歴史を考えるヒント」という本を読みました。

「日本」の始まり
日本、という呼び方が始まったのはいつか、ですが
689年です。

浄御原令(きよみはらりょう)天武天皇が作り始め、死後、次の持統天皇が完成
存在がちゃんと確認できている初めての法律です。

ここで「日本」が登場し、それまでは、「倭」でした。

日本の範囲
独立国として正式に立ち上げた中央政府は
その勢力を拡大すべく軍隊を派遣します

まだ現在の日本列島全てが日本ではなかったのです。
東北以北は蝦夷(えみし)という別の国でしたし
南九州は隼人(はやと)という別の国でした。

東北の人たちは、中央政府の言わば侵略に一世紀に渡って強固に抵抗し
ついに、東北全土を領土に出来なかった。

現在の岩手県の南部から秋田県の辺りは、9世紀の始め頃までに
自治を認めた上で、形だけ日本に編入することを認めさせた。
さらに北、岩手県の北部から青森県は、11世紀の後半まで日本国の外だったんです。

日本国は、支配下の地域に、国・郡・郷という行政単位を設けました。
もちろん、東北最北部はその範囲外
村と呼んでいました。

現在の東京都埼玉県辺りを武蔵国。神奈川県辺りを相模国というような
国の名前は、9世紀の前半に確立しました。

最初は従来からの地元で呼び慣わされていた名前をできるだけ採用
8世紀には良い字を用いよ、ということになり
三野(みの)国は美濃国、山背(やましろ)国は山城国になります。

この国の範囲は実に強固で、現在も人々に強く意識されています。

国をより広範囲にグループ化したものに道があります。
都を中心とした5つの国は畿内
その外側が、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道
五畿七道と呼ばれます。

こっちは、今もっと一般的ですね
新幹線の名前になってます。

畿内とそれ以外ということでも分かるように
あくまでも都のある奈良や京都が中心ですよと。

東日本をちょっと見下している感がある

もっと原始時代まで遡っても
西日本とフォッサマグナより東の東日本ではかなり文化が違っていた。

西日本は大陸が距離的にかなり近いので
渡来文化の影響を強く受けている。

そんな西日本中心の考え方や統制力は、どんどん強まるのかと思いきや
逆に弱まって10世紀を迎える

ここで大きな事件が起こる
東日本が、我々の国、の旗をあげる

平将門の乱です。

そのあと、どうなっていくか
シリーズで次回、続きをお話します。

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

日本列島の歴史」への1件のフィードバック

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