日本列島の歴史。東日本ここにあり。

日本列島の歴史
の続きです。

東日本ここにあり
都はずっと西日本だったけど、統制力が弱まってきた、というところでしたね
そして、起こるべくして起きたというのが、平将門(たいらのまさかど)の乱

日本国の朝廷に反逆し
武蔵、相模、上総、下総、安房、常陸、上野、下野という関東8か国の全域と伊豆を基盤に
下総国猿島(さしま)に都をおいた自立した新国家を打ち立てる

平将門は、この地域の事を坂東と呼んでいます。

大体こういうときは八幡神
八幡神のお告げでもって

新国家誕生!
私が新皇。新しい天皇にござい。

はい、あなたが新しい天皇。証明します。
という証明書を発行したのが菅原道真

この裏切り者め!と太宰府に流されちゃいます。

後にも先にも、日本の中で新国家独立宣言が行われたのはこの時と
明治維新の戊辰戦争の幕府側が、函館で新国家宣言したときくらいかな

もちろん取って変わるというのはあるけどね
南北朝は微妙かな

関東が国になっちゃった訳だから関東人は大喜び。
今でも平将門は関東ではウルトラマンと同じくらい大人気で
あっちこっちにゆかりのものが奉られています。

さあ、国作り
でも出来立てのほやほやですから
まだ、国の単位はそのまま
新たな行政単位を作るところまで、時間がありませんでした。
従来の国に、自分が任命した役人を派遣しただけ

国の名前も決めてません。

新しい暦を作ることもせず、元号も変えてません。
ゆっくり考えようと思ってたんでしょうね

残念!
そんな時間がありませんでした。

朝廷から平定部隊が送られ
僅か、3ヵ月足らず

余りにもあっさりやられちゃったもので
一旦、こういった動きはなりを潜めますが
3ヵ月とはいえ、関東に国が出来たという事実は残り
関東の人たちの心の奥底に深く浸透していきます。

東北
その精神を受け継いだのが東北
東北全部が朝廷の支配下に入らなかった話は前回しましたが
平将門に刺激され、動きが活発になってきます。

俘囚(ふしゅう)と呼ばれる、形だけ朝廷の支配下になったものの内
安倍氏が力をつけていきます。

そして、さらに受け継いだ清原氏

いよいよ奥州藤原氏
津軽・下北を含む奥羽全体に初めて自立した政権が出来上がりました。

鎌倉
とうとう、本格的に、関東こそが日本の中心になる時代がやってまいりました。
鎌倉幕府の誕生です。

奥州藤原氏を倒したのも
朝廷ではなく、鎌倉幕府でした。

鎌倉幕府は自分達が直轄で治める地域の事を、関東と呼ぶようになります。

ここから、地域の呼び方が変わっていきます。

次回、そのあたりから話を続けていきましょう。

[日本の歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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