飾磨町のブラタモリを辿ってみました。

(2020/1/1の事です)

正月なので、兵庫県の実家に帰ってきています。
元旦朝早くに東京を発って、昼頃着きました。

いつもは、関西にはなかなか行けないわけだから
今年90になる父さんと、あっちこっちとおでかけ

明石、赤穂、姫路城・・・

帰ると、父さんが姫路城の話をした
どうもブラタモリで12/14に姫路をやったらしい。

姫路市としては大喜び
ブラタモリで訪れたルートを「ブラタモリ ひめじロケ地 めぐりマップ」として解説付でA4で6ページの立派なパンフレットを作成

希望者には無料配布すると広く告知
父さんがわざわざそれをもらいに行ってくれていたんです。

中を見ると、去年行ったので
螺旋型のお堀の話以外は全て確認してきたことばかり

でも、1ページ丸々、これ何の話か分からん、って言うのがあった
良く良く見ると「飾磨(しかま)エリア」と書いてある

なるほど、姫路城じゃないのか
それにしてもなんでまた飾磨(しかま)

飾磨って「しかま」と読める人は日本中になかなかいない
地元にほど近い私達は分かりますがね
それにしても、ものすごいローカル
飾磨に焦点当てるとは。さすがブラタモリ、NHK

東京から着いたばかりではありますが、こうしちゃおれません。

行ってみようか

車で走ること40分ほど

飾磨
タモリと同じ、宮堀橋をスタート

ターゲットとなる次期は、姫路城藩主が池田輝政の頃
関が原の戦い(1600年)から大阪の陣(1614、1615年)まで

なるほど、お堀が町中にいっぱい


この飾磨津(しかまつ)という港町から、色んな物資を姫路城に運んでいた。

恵美酒宮天満神社


お陰で初詣も完了

七福神ファンの私としては何とも気になるこの名前
調べてみるとやっぱり

海の町なので、元々鯛を持っている漁業の神様は当然
後に菅原道真の天神様も勧請したようです。
納得

ここのお祭りのお神輿はものすごいらしいです。

さあ、ブラタモリに戻りましょう
古い町並みを抜け

野田川に出ます

うわあっでかい水門

かなり広い川です

今は埋め立てられていますが、向島橋の向こう側が丸々島だった

そこで何をしていたかというと、造船。

ただの船ではありません。今で言う海軍の軍艦

これは、大将即ち藩主の池田輝政の乗る船で
他にもびっしりと、野田川に並びます
ブラタモリのテレビの画面から引用するとこんな感じ

関が原前に寝返った池田輝政に課せられた使命は
大阪の陣で、豊臣家を壊滅させるための大きな役割
強大なる城、姫路城
最も怖い毛利を海路でも阻止するための強力な水軍です

おでかけマップ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です