なめくじ長屋と、自分の葬式を演出した男

最後の最後に最強パワーを授かりました
の続きです。

面白かったなあ
このまま帰っても良さそうなものですが
予定していたコースは始まったばかり
先を急ぎましょう

桃青寺


桃青は松尾芭蕉の俳号
小石川で神田上水の水役をしながら、ここに住んでいたんです
通称、芭蕉わらじ脱ぎの寺

達磨横町
葛飾北斎は、生涯かなりの数の引っ越しをしていますが
その中で一度、大火で自宅が全焼したために引っ越したというのがあります。
それが達磨横町

筆一本だけ持ち出して、娘の阿栄と難を逃れた
80歳を超えてからの事です
「雨ふりにあしだをはいて、日本橋までも西両国の辺からゆききして、へとも思わぬ」

ここには、木村義雄の住居跡もあります
極貧の中でも、将棋界を這い上がっていった第一人者
最も有名な対戦は、「王将」で有名な坂田三吉との名勝負です。

なめくじ長屋
金貨、銀貨のもう少し細かい単位を銭(ぜに)と言いますが
その銭を作っていた場所がここ
今、税務署になっているというのが面白いですね

そんなお金を作っているところのすぐそばなのに
極貧の人たちが住んでいました
5代目古今亭志ん生もそのひとり

仲間から、6畳と2畳の二間なのに家賃が只だと言われて、喜びいさんで引っ越した
もちろん、何かありますね

その家の事を落語にしちゃって大人気

ここはナメクジの巣みたいなところで、いるのいないのってすさまじい
小さいかわいらしいやつならまだしも
10センチ以上もある茶色がかった大ナメクジがあっちからもこっちからも押し寄せてくる
塩をかけてもぴくりともしない
おかげで家の中の壁はナメクジがはったあとでピカピカに光っている
毎朝十能(じゅうのう)(小さいスコップ)いっぱいにしゃくって取れ
始末に困って、料理法まで考えた。

こんな話を本で読んだら確認しないわけには行きません。
本になめくじ長屋跡、となっていた辺りをしらみつぶしに探すんだけど
さっきの銭座のような案内標識がどこにもありません。

こんなお城みたいな和菓子屋さんで若い店員さんが出てきたので聞いてみました

この辺でなめくじ長屋ってご存知ないですか

さあ、私はここにきて日が浅いもんですから

中に案内されておかみさんに聞いてみました

それでしたら、記憶が曖昧なので間違っているかも知れませんが
クリーニング屋さんの角を曲がって・・・

ありがとうございます。

言われた場所を探したんですがね
残念!どうしても分かりませんでした。
この辺のはずなんですが

押上天祖神社

境内には浅草田圃から引っ越した太郎稲荷が祀ってある
太郎稲荷は江戸検定1級にも出題された、知る人ぞ知る当時大流行したお稲荷さん
わらじを売る老夫婦が商売繁盛を祈願すると
売れに売れてわらじが出てくるという落語「ぞろぞろ」にもなっています。

ところが、押上天祖神社の中にあるはずの太郎稲荷がどうにも見つからない
残念!
連続空振りでございました。

春慶寺
ここも行きたかったんですよ
鶴屋南北のお墓があるんです。
東海道四谷怪談など、歌舞伎の名作を数多く作って「大南北」と言われています。

本に書いてあった鶴屋南北のエピソードがすごい
根っからのエンターテナーで
自分の葬式を演出したという

南北略儀ながら、せもうはござりますれど
棺の内より頭をうなだれ手足を縮め
御礼申したてまつります。

この世の名残りに
万歳太夫才蔵兼ねまして、亡者の私が舞い納めるので
庫裏にお集まりの皆さん、よろしくお願いします。

もちろん死人はしゃべれませんが
死後枕元の箱を開けて欲しいとの遺言

その箱の中にこの演出が書かれた紙があった
その紙が葬式に集まった人に配られて、みんなびっくり。

この「故人の舞う舞」はどういうふうにしたんでしょうか

春慶寺はビルになっちゃっていてビルの前に墓石が据えられています。
その墓石が見上げる形で真ん前にそびえるスカイツリー

妙見山法性寺
通称妙見さん
北斗七星の北辰妙見菩薩を祀っている

葛飾北斎はその北斎という名を始め、それ以外の画号も全て妙見さんから取っている熱心な信者
先程紹介した達磨横町の自宅から、毎日のように妙見さんに通っていた
スカイツリーの真下を通っていたと言うことです。

おでかけマップ

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