鷹狩りは鶴がスペシャル

「徳川将軍家の演出力」より

鷹狩り
将軍が江戸城から外に出る理由で一番多いのが鷹狩り
鷹狩りは将軍を権威付ける手段としても使われます。

将軍が鷹狩りを楽しんだ江戸郊外の地は、ほぼ今の23区内に収まります。
御拳場(おこぶしば)と呼ばれていました。

御拳場は6つに区分され、各地域に鳥見役が置かれた。
鳥見役って何をするかというと、鷹の獲物が生息出来るようにすること
御拳場にはかかしすら立ててはいけません

一方、鷹の確保や飼育も大変
鷹匠(たかじょう)が確保するんだけど
例えば雑司ヶ谷の鷹匠は、広尾の辺りに鷹が飛来すると聞いて
毎日籠を置いては回収しというのを何日も続けた。

今は六本木ヒルズとかあって考えられないけど
昔は鷹も飛んできていたんですね。

鶴御成(つるのおなり)
一言に鷹狩りといっても、何を狙うかによって名前もランクも分かれます。
一番高度なのは、鶴

鶴は長寿の象徴として、特に珍重されていた。
おもてなしの最高ランクは鶴のお吸い物
鶴の骨を煮出しただし汁で鶴の肉を煮て、白味噌を加える
野菜を入れ、酒も調味料として加える
鶴の香りが逃げないよう鍋の蓋は開けない。

鶴御成で行くのは、現在の現在の江東区、江戸川区、荒川区方面
ということは、鷹のみならず、鶴まで23区内にいたということ

さすがに鶴の餌付けは大変で、一日三度籾を撒きながら餌付けできるのを待つ
鳥見役は鶴に怪しまれないよう、農夫の格好をして農作業

鶴さん安心してね

そろそろ大丈夫となり、いよいよ将軍のおでまし。

日の丸の大きな扇が高く差し上げられ、それが合図

鷹匠が鶴に近づいていく
驚いた鶴が飛び立つ
飛んでいない鶴じゃ面白くありませんから

5メートルくらい飛んだら、将軍の出番
拳から鷹を、行けっ

鶴に飛び付いた鷹は地上に落とそうとするが、鶴もさるもの
必死に抵抗
逃げられそうだと判断すると、鷹匠が援軍の二匹目の鷹を放つ

鳥見役たち、回りの人間は
上意、上意、とはやしたてる
これ、鷹への応援メッセージ

鶴が地上に落ちると、みんなが一斉に捕まえに行く
鶴のくちばしを掴んだものは一番乗り
二番乗りまでが褒美をもらえます。

鶴は朝廷への献上品としても使われます。
その場で塩漬けにされ、江戸から京都へ、昼夜構わず向かいます。

この鶴も、将軍が仕留めたものである以上、将軍と同じ
御鶴様の御通りとあいなります。

下賜
鷹狩りでの獲物は、大名達に下賜されます。

鷹そのものという場合もあるんですが
大名の格付けに従い、鳥のランクも決まります。

一番ランクが高いのが鷹そのもの
次が鶴。雁、ひばりの順

鷹を拝領できる大名は限られている

御三家、加賀藩前田家、福井藩松平家、会津藩松平家、彦根藩井伊家。

国元へ戻るときに拝領し
その鷹で、自分の国で鷹狩りを行い
得た獲物を献上するという流れ。

鶴を下賜された浅野長勲の記録によると
鶴が箱にそのまま入っていた訳ではなく、
切った身が入っていた。

ひばりくらいのランクになると、かなりの数の大名となる
ひばりの数としても数千羽は必要。

全て将軍が一人で鷹狩り出来る量ではない。

将軍が鷹狩りで仕留めたという体にしてみんなで頑張って集める。

ひばりの腸と肝をタタキにし、塩辛のような感じで酒の肴にする

このひばりの数千羽、すぐ腐っちゃってロスが多く、膨大な費用がかかる

寛政の改革の松平定信はケチケチ大作戦
以降、ひばりは塩漬けにされ、下賜されるようになった。
もらう方も、腐らないので大喜び
結果として、ほぼ半数のひばりで済むようになった

みんな大喜びと思いきや
鳥見役は、出張手当が大幅に減って
いらんことすなっ

鶴を下賜されたものは
各大名家の家族全員でありがたくいただくことが義務付けられていた。

桂川甫周(かつらがわほしゅう)の娘みねは
雁が下賜された時の事を記録しています。

さあ大変。葵の御紋の付いた矢が突き刺さっております。
すぐさま、「はや」(大急ぎの報せ)が飛びました
ご無礼のないよう、用意万端ととのえてお待ち受け
親類縁者はもとより、近所中に知らせて
この喜びを分かち合う必要があります。
大名でもなんでも左右に避けてお辞儀
いやはや大変なご馳走になりました。

[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)
「徳川将軍家の演出力」より

■■鷹狩り■■
将軍が江戸城から外に出る理由で一番多いのが鷹狩り
鷹狩りは将軍を権威付ける手段としても使われます。

将軍が鷹狩りを楽しんだ江戸郊外の地は、ほぼ今の23区内に収まります。
御拳場(おこぶしば)と呼ばれていました。

御拳場は6つに区分され、各地域に鳥見役が置かれた。
鳥見役って何をするかというと、鷹の獲物が生息出来るようにすること
御拳場にはかかしすら立ててはいけません

一方、鷹の確保や飼育も大変
鷹匠(たかじょう)が確保するんだけど
例えば雑司ヶ谷の鷹匠は、広尾の辺りに鷹が飛来すると聞いて
毎日籠を置いては回収しというのを何日も続けた。

今は六本木ヒルズとかあって考えられないけど
昔は鷹も飛んできていたんですね。

■■鶴御成(つるのおなり)■■
一言に鷹狩りといっても、何を狙うかによって名前もランクも分かれます。
一番高度なのは、鶴

鶴は長寿の象徴として、特に珍重されていた。
おもてなしの最高ランクは鶴のお吸い物
鶴の骨を煮出しただし汁で鶴の肉を煮て、白味噌を加える
野菜を入れ、酒も調味料として加える
鶴の香りが逃げないよう鍋の蓋は開けない。

鶴御成で行くのは、現在の現在の江東区、江戸川区、荒川区方面
ということは、鷹のみならず、鶴まで23区内にいたということ

さすがに鶴の餌付けは大変で、一日三度籾を撒きながら餌付けできるのを待つ
鳥見役は鶴に怪しまれないよう、農夫の格好をして農作業

鶴さん安心してね

そろそろ大丈夫となり、いよいよ将軍のおでまし。

日の丸の大きな扇が高く差し上げられ、それが合図

鷹匠が鶴に近づいていく
驚いた鶴が飛び立つ
飛んでいない鶴じゃ面白くありませんから

5メートルくらい飛んだら、将軍の出番
拳から鷹を、行けっ

鶴に飛び付いた鷹は地上に落とそうとするが、鶴もさるもの
必死に抵抗
逃げられそうだと判断すると、鷹匠が援軍の二匹目の鷹を放つ

鳥見役たち、回りの人間は
上意、上意、とはやしたてる
これ、鷹への応援メッセージ

鶴が地上に落ちると、みんなが一斉に捕まえに行く
鶴のくちばしを掴んだものは一番乗り
二番乗りまでが褒美をもらえます。

鶴は朝廷への献上品としても使われます。
その場で塩漬けにされ、江戸から京都へ、昼夜構わず向かいます。

この鶴も、将軍が仕留めたものである以上、将軍と同じ
御鶴様の御通りとあいなります。

■■下賜■■
鷹狩りでの獲物は、大名達に下賜されます。

鷹そのものという場合もあるんですが
大名の格付けに従い、鳥のランクも決まります。

一番ランクが高いのが鷹そのもの
次が鶴。雁、ひばりの順

鷹を拝領できる大名は限られている

御三家、加賀藩前田家、福井藩松平家、会津藩松平家、彦根藩井伊家。

国元へ戻るときに拝領し
その鷹で、自分の国で鷹狩りを行い
得た獲物を献上するという流れ。

鶴を下賜された浅野長勲の記録によると
鶴が箱にそのまま入っていた訳ではなく、
切った身が入っていた。

ひばりくらいのランクになると、かなりの数の大名となる
ひばりの数としても数千羽は必要。

全て将軍が一人で鷹狩り出来る量ではない。

将軍が鷹狩りで仕留めたという体にしてみんなで頑張って集める。

ひばりの腸と肝をタタキにし、塩辛のような感じで酒の肴にする

このひばりの数千羽、すぐ腐っちゃってロスが多く、膨大な費用がかかる

寛政の改革の松平定信はケチケチ大作戦
以降、ひばりは塩漬けにされ、下賜されるようになった。
もらう方も、腐らないので大喜び
結果として、ほぼ半数のひばりで済むようになった

みんな大喜びと思いきや
鳥見役は、出張手当が大幅に減って
いらんことすなっ

鶴を下賜されたものは
各大名家の家族全員でありがたくいただくことが義務付けられていた。

桂川甫周(かつらがわほしゅう)の娘みねは
雁が下賜された時の事を記録しています。

さあ大変。葵の御紋の付いた矢が突き刺さっております。
すぐさま、「はや」(大急ぎの報せ)が飛びました
ご無礼のないよう、用意万端ととのえてお待ち受け
親類縁者はもとより、近所中に知らせて
この喜びを分かち合う必要があります。
大名でもなんでも左右に避けてお辞儀
いやはや大変なご馳走になりました。

シリーズあれこれ


[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

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