鳥羽伏見の戦い前の、西郷隆盛と大久保利通の手紙

磯田道史先生の「日本史の内幕」から

西郷書状
磯田道史先生は古文書オタク
色んな古文書を探しまくり読みまくり、今も日本史に新事実を追加し続けている

そんな中で、西郷隆盛の書状を見つけた
ある古美術商から連絡

こんなの手に入れましたけど

中身を見ると、西郷隆盛が鳥羽伏見の戦いの時に、大久保利通に対して作戦内容を書き送った最重要書状

以前から西郷隆盛全集第二巻に収録されているが、現物が出てきたのは初めて。

全集では、鳥羽伏見の戦いが始まった「正月三日」と書かれているが、それがない
そこだけが不思議だが、筆跡は西郷のもの。間違いない。

西郷の筆跡がすぐ分かるなんてさすが。ただ者ではない。

鳥羽伏見の戦いのおおよその作戦は既に色んな資料から分かっていた。
実は薩摩長州はこの戦いにすんなり勝てると思っていなかった。
幕府軍の兵力は15000。対する薩摩長州軍は5000
量的にはどうにもならない。
質はというと、幕府軍はバックに付いているフランスに近代的訓練を受けていて
新政府軍より勝っているかも知れない。

こりゃあかん

天皇が亡くなってしまうとえらいこと
前の夜にお忍びで西国の方に逃がす
京都の朝廷には有栖川宮と岩倉具視が残り
天皇には中山忠能(ただやす)がお供する
ただ、新政府軍の旗色が良いようであれば、天皇の移動はなし

長州からは、お忍びの移動に三中隊がお供したいと提案してきていた。

これを踏まえ、西郷の手紙にはどう書かれていたか

直前になって、西郷の考えが変わる。

すぐさま天皇を移しては大いに人心に関係するので、暫くは見合わせた方が良くないか
岩倉や同志の公家たちを説得して欲しい

この手紙の内容を見ても、かなり幕府軍の方が有利と思っていて
気持ちが揺れているんだなあと思う

敵の大将がまさか逃げ帰るなんて思いませんものね

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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