本所七不思議巡り、続き

両国から、本所七不思議巡り
の続きです。

【不思議3】おいてけ堀
釣った魚を持ち帰ろうとすると、「おいてけ おいてけ」の声がする

かなり有名な七不思議だと思います
おいてけ堀を喰らう、って慣用句にもなっちゃってます

場所は二つ説があります。
ひとつはここ、日本大学第一中学校
もうひとつは、錦糸町駅から近い江東橋4丁目

【不思議4】消えずの行灯(あんどん)・燈なし蕎麦
南割下水付近を流す蕎麦屋の屋台の明かりは消えず。
近づくと屋台ごと遠のいていく

なかなか場所の特定が難しい
ええい、この辺

【不思議5】津軽屋敷の太鼓
火の見櫓は普通は板木を鳴らすが、津軽屋敷だけは太鼓を鳴らす。

それのどこが不思議なの?と思いますが、これには背景があります。
陸奥弘前(むつひろさき)藩・津軽家はちょっとだけ変わり者
10万石なのでかなりのもの

江戸城内では、時間を太鼓で知らせていた。
大名屋敷は、太鼓はだめよ、板木にしなさい

嫌だ。先祖代々太鼓なので、そのまま太鼓が良い

正直、どっちでも良いんじゃないって些細な事だけど
これはえらいこと。
幕府に逆らうなんて考えられませんでしたから

幕府としても、そのままって訳にはいきません。
川向こうに引っ越しなさい

大名は江戸城の近くに上屋敷。だんだん遠くに中屋敷、下屋敷になるのに
全ての屋敷が遠くは弘前藩だけ
そもそも、隅田川より向こうは武蔵の国でもなく、下総です

両方の国を橋で繋いだのが、両国橋

弘前藩・津軽家は望むところと強がって
火の見櫓にまで、太鼓を付けちゃったんでしょう。

郊外のショッピングモールみたいに、まあどでかい

両国にすぎたるもの二つ。津軽大名。炭屋塩原。
大名屋敷は両国っこの誇りだったでしょうね

その隣には、江川太郎左衛門英龍(えがわたろうざえもんひでたつ)の屋敷

出ました、世界遺産
伊豆韮山代官で韮山反射炉を作った人
佐久間象山や、榎本武揚もここで学んだし、ジョン万次郎だって起用している
それだけじゃない
江戸湾に、人工の島をポコポコポコっと作って、大砲を配備し、ペリーの再来航に備える
そのうちの二つが今のお台場ね
さらに、日本で初めてパンを焼いた人であり
「気をつけっ」「右向け右」「回れ右」の号令を決めた人
私の中では、幕末の最大のヒーロー

津軽家屋敷の中には、神社もあります。
野見宿禰(のみのすくね)神社

神代から始まったとされる相撲の神様
歴代横綱の碑があります

モンゴル モンゴル モンゴル 茨城県
稀勢の里も頑張ったけどね

葛飾北斎
超大物忘れてました
葛飾北斎
ここで生まれました

ずっと歩いてきているのは北斎通りです。
北斎美術館

かっこいいわぁ、この建物
以前、書きましたので今回は省略
北斎美術館に行ってきました

三遊亭円朝
出ました、三遊亭円朝
旧居跡です

ウォーキングしていると、円朝の名作「怪談乳房榎」ゆかりの地が色々
真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)だったり、怪談牡丹燈篭といった怪談話が得意だった

さっきの、両国にすぎたるもの二つ。津軽大名。炭屋塩原。
の二つ目、炭屋塩原って、このあたり出身で一代で大金持ちになった大商人、塩原多助

円朝は地元の有名人で、落語を作ろうと思った。
二代目三代目が相次いで狂い死にしたので怪談話にしよう

初代の故郷にも現地取材
これは、怪談より初代の立身出世話にしたほうが面白いぞと
塩原多助一代記が完成

一気に、怪談話の専門家から人情話の第一人者へと大きく飛躍を遂げます。

特に愛馬あお、との別れのシーンにはみんな涙した。

これ、あおよ
お前と俺は畜生と人間との違げえがあるが、俺らあ兄弟のように思ってるだ

あおの目から雫がぽとり

おお、あおよ
われ、泣いてるだな

長くなりました。
まだ続きますので、続きは明日ね

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