早稲田界隈を歩く、の続き

早稲田界隈を歩く
の続きです。

穴八幡神社は省略し

戸山荘
戸山荘は尾張藩の下屋敷です。
おそらく、江戸時代の庭園で最も優れた庭園がここ戸山荘でしょう。

とにかく広い
元々、春日局の親戚で大奥の超大物、祖心尼(そしんに)に与えられた広大な済松寺という寺院があるのですが
そこから、尾張藩の二代藩主徳川光友が譲り受けたから
祖心尼の孫娘が、光友に嫁いだんです。

巨大な池を掘り、その土を盛り上げて大きな築山
明治になって、「箱根山」と呼ばれるようになります。
山の手線内で一番高い山、44.6m

ただ、光友が代替わりすると、広すぎて維持費がかかりすぎ
ほおって置かれ、荒れ放題

ずっとあとの、徳川将軍で言うと、11代将軍家斉のとき
おもてなしがとっても重要になる

ポテンシャル最高の戸山荘も復活するぞ!
でも、この時期お金がない
絢爛豪華さで抜きん出ようとするといくら金があっても足りない
よし、アイデア勝負だ

殿様って、東海道で参勤交代する藩であれば、小田原宿を通る
篭の中から町の様子は見ている

小田原宿をそのまま再現

そうじゃそうじゃ、小田原宿じゃ

おもてなしされる将軍や各藩の殿様が
やりたくてもできないことをやらせてあげよう。

お買い物

おもてなしするときだけ、店を開け
商品を並べる

安いよ安いよ
小田原名物、ういろうはいかがですかぁ

初めて自分の手で買ったういろうは格別

今の戸山公園内ではなく、若干離れている、この場所

刑死者慰霊塔
余丁町自動公園の中に、慰霊碑がある

このあたりは市ヶ谷刑務所だったところ
明治8年、伝馬町の牢屋敷がここに移る

大久保利通を暗殺した島田一郎や、幸徳秋水が処刑されたのがここ
相変わらず、首切り浅右衛門が刑を執行したんです。

実際の処刑場はもう少し行ったところに
青峰観音というのがある場所

市谷監獄が移転した跡地一帯の土地を大正の始めに箱根土地会社(現、国土開発)が払い下げ
宅地に整地して分譲

刑場のが幾多の霊を弔うため、社長、廣部清兵衛氏が
等身大の立派な聖観世音菩薩の銅像を建立

高村光雲作。高村光太郎のお父さんで、上野の西郷さんの銅像を作った人

観音様は地元住民に親しまれて来た。

ところが、昭和16年太平洋戦争がはじまり、
金属供出

この観音様も。

バチ当たりますよね。

昭和24年4月、このあたりは、大空襲で焼け野原
戦後、徐々に疎開先から戻ってきた住民たちが

もう一度観音様を作ろうじゃないか

それが、この観音様です。

大久保の犬御用屋敷跡

時代は江戸時代に戻り
5代将軍綱吉の時

生類憐れみの令です。
飼い主のいない野良犬も丁重に保護する必要があります。

ここ大久保と四谷と中野に野良犬保護施設
何と十万匹もいる広大なものです。

ここは手狭になってしまい、中野に移してここは廃止になります。

ワンワン

稲荷鬼王神社
平将門を祀る神社
平将門の幼名が鬼王と言うんです。

水琴窟が二つもあり
竹筒に耳をそばだてる

キンキン キンコン キーン

ここの手水鉢が面白い

鬼が抱え上げている

この手水鉢、元は加賀美家の屋敷にあった
毎夜、誰かが水を浴びているようなおかしな物音

曲者!
ある時、刀を降り下ろした

確かに手応えはあったが曲者はどこにも見当たらない。

すると、そのあと
加賀美家に不幸な事が立て続けに起こった。
良く良く見ると、手水鉢に刀傷

その後、稲荷鬼王神社に奉納された

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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