天皇シリーズ
村上天皇
946~967年
朱雀天皇は、お母さんの穏子(おんし)に会いに行った時
おお、立派になられて。
嬉しいよ
早く成明親王(朱雀天皇の弟)についてもこのような立派な姿を見たいものじゃ
あれあれ
これは譲位の催促か?
と
朱雀天皇、もともとやる気はありませんでしたが
24歳の時、弟に譲位してしまいます。
村上天皇。この時、21歳です。
村上天皇になっても、藤原忠平は関白を継続しました。
忠平とお母さんの穏子が村上天皇をサポートするという磐石の体制
でも、忠平が、4年後亡くなってしまうのです。
この後、村上天皇は関白を置きませんでした。
この時期を後に、天暦(てんりゃく)の治と呼ばれています。
とはいえ、実際には、忠平の息子、実頼(さねより)と師輔(もろすけ)の二人が助け合いながら政治を進めます。
二人で、となると間で勢力争いが起こりがちですが
この場合は大丈夫でした。
早い段階で決着がついちゃったからです。
師輔の娘、安子(あんし)は村上天皇との間に、二人の息子をもうけます
後の冷泉天皇と円融天皇です。
一方の実頼の娘、述子(じゅつし)は、村上天皇の女御(にょうご)となるも
懐妊中に死亡
勝負ありってことで、実頼も師輔を助けてあげようと気持ちを切り換えた。
そういう事なので、天皇としては、特に悪くはないというくらいなんですが
芸術面ではとても優れていた。
自らの歌人としての才もそうだが
歌会を開いたり、短歌を深め
音楽にもとても秀でていた。
私が一番好きな歌はこれかな
天の原 そこともしらぬ 大空に おぼつかなさを なげきつるかな
天空の、どこかともわからない大空に向かって、あなたに会いたい気持ちを訴えたことだよ
鶯宿梅(おうしゅくばい)
村上天皇で有名なエピソードが鶯宿梅
清涼殿の前にあった梅の木が枯れてしまった。
こりゃ寂しい。
良い梅の木を探して参れ
都のはずれで、良い梅の木をとある屋敷の中に見つけた。
帝の命である、掘り返して持って行くが、異存はないな
少々お待ちください
奥にいる主から短冊を預かり、枝にくくりつけた
このままお持ちください。
見事じゃ。天晴れ天晴れ
ん?
短冊を見つけた。
勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へん
帝の勅命なれば畏れ多く、もちろん梅の木は献上いたしますが、
毎年梅の木に来ていたウグイスに「私の宿はどこへ」と聞かれたら、
私はどう答えたらよいのでしょうか
ううむ。感じいった。
このようなすばらしい歌の主とはいったい
調べると、かの紀貫之の娘、紀内侍(きのないし)
父の形見だったという
急いで元に戻した。
今、その梅の木の子孫が、京都市上京区の林光院に植え替えられている