[明治]7 西園寺公望。最後の元老

明治シリーズ 兼 歴代首相シリーズ 兼 元老シリーズ

元老としては最後ということになります。

西園寺公望(さいおんじきんもち)

西園寺公(さいおんじきん)まで来れば
百人一首ファンとしては
西園寺公経(きんつね)
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

西園寺家の創始者です。

藤原氏の中で、摂関家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)に次ぐ、清華(せいが)家

33代目の当主が公望です。

やんごとなきお方
当然、長州でも薩摩でもありません。

とは言え、幕末から明治、大正と生き
お公家さんらしからぬ行動

明治4年からフランスに留学
9年もの長きに渡ります。
同じ下宿にいた、後にフランスの首相になるクレマンソーと友達になります。
中江兆民と出会ったのもこの留学中。

留学経験のある首相はまずまずいますが
こんなに長い人はいません。

帰ってきてから、「東洋自由新聞」という新聞社を作り
自由民権運動を行います。

ところが政府から解体させられます。
この時の失敗が、それまでやんちゃだった公望の性格を変えさせることになります。

さあ、これからどうしようか
って時に、語学力を買われ
伊藤博文に随行してヨーロッパを歴訪します。

この時、伊藤博文とも仲良くなり
公ちゃん政治家になれば良いのに

そう?
考えて見るかな

伊藤博文内閣の時、文部大臣として入閣します。

そこから、伊藤博文を支える存在となり
伊藤博文の作った、立憲政友会を伊藤博文から総裁を引き継ぐことになります

桂太郎首相から政友会総裁の西園寺公望に密約の申し出
日露講和条約賛成を条件に
次の首相は、君で行くからね

えっ、そうなの?

ってことで、初の公家出身首相です。

桂内閣の時から懸案だった私鉄の国有化を実現します。

色々大変だったので
桂太郎にまた密約

一旦お返ししまーす。

第二次桂太郎内閣

その後、また密約

えっ、また私?

第二次西園寺公望内閣

元々自由民権運動やっていたくらいの人で、軍隊嫌い。
陸軍からの軍備拡張要求を拒否。
陸軍と対立が激化し
陸軍大臣が辞任しちゃった。

当時、陸軍大臣と海軍大臣は軍内部の人じゃなければダメってルールがあった。

替わりの大臣を早く決めなきゃいけないんだけど
次の大臣を出してくれません。

無念ながら、組閣を断念

また、お返ししまーす。

疲れ果てたので、政治の第一線からは引きます。
元老となり、内閣が倒れた時は、次の首相を決めるという役割を果たします。

元々合議制だったのが
みんなお年寄りになり、一人減り二人減り
松方正義がなくなってからは、元老は、とうとう西園寺公望一人になってしまった。

次の首相は西園寺公望がひとりで決めるという事が続きます。

変な制度ですね

結局
明治憲法下では、首相は天皇が決めることになっている。
でも、もし任命された新首相がうまくいかなかったとします。
あなたが決めたんでしょ。って責任を問えない訳です。

であれば、元老という有識者に推薦させ、その人をそのまま任命するという事であれば
天皇に傷がつかない。
そのための仕組みだと言うことです。

[明治]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です