[首相]10-2 原敬。最後のワイン

[首相]10 原敬。東北からの平民宰相。
の続きです。

桂園時代
伊藤博文が枢密院議長になったため、政友会総裁を辞任。
後継は西園寺公望。
西園寺は、党の運営をまるっと原敬に任せる。

桂太郎と西園寺公望が交替で首相をつとめる桂園時代に突入

その間、2度、内務大臣をつとめ、実質的に内閣を主導した。
その間、藩閥政治の親玉、山県有朋とも関係を保ちつつ
じわりじわりと藩閥の切り崩しを図っていく。

山本権兵衛、寺内正毅の内閣を経て
いよいよ期が熟してきた。

西園寺公望は山県有朋と話し合い、とうとう原敬の首相就任を認めさせる。

政党と藩閥
最初は、明治維新の功労という意味からも、藩閥政治となり
そこからはみ出た板垣退助や大隈重信が政党を作り、藩閥政治と対決するという構図だった。

でも、藩閥政治のスーパースターである伊藤博文自身が、この構図に疑問を持つ。
伊藤博文が政友会という政党を作ってしまう。

その後の政党は、政友会が中心になっていく

その政友会が伊藤博文のあと、西園寺公望が継ぎ、原敬が総裁となる
原敬は東北、即ち賊軍出身
藩閥から生まれた政党が大きく飛躍した事になる

その時代の変換は、偶然にやって来たものではなく
原敬が入念に計画し、藩閥政治の切り崩しと、政友会の勢力拡大を
じっくりと同時並行していったたまものだと言える。

原敬は小選挙区も取り入れた選挙法の改革を行い
その上で解散に討って出る
定員464人の内、278の議席を確保
圧勝しました。

そして、その安定した議員の数の論理を背景に
数々の改革を進めていきます。

政友会の四大政綱
「教育の充実」
「交通通信機関の整備」
「国防の充実」
「産業振興」

それがそのまま、原敬首相の政策となります。

東京駅で
大正10(1921)年11月4日
一昨日だったんですね。

19時
原は芝の自宅を出て東京駅に向かいます。
翌5日に京都で行われる政友会の近畿大会に出席するため。

乗るのは、東京発19:30の神戸行の急行
19:20駅長室に入った。

どうもどうも

同行するメンバーは全員揃っていた。
しばし歓談のあと、
そろそろ行きますか

案内の駅長と原敬が並んで歩く。

突然物陰から一人の青年

体ごと、原にぶつかった。

まさに一瞬の出来事
隣の駅長は、何が起きたのか分からなかった。

崩れる首相

首相ーーーっ

駅長室に運ばれ、駆けつけた医師が応急手当

ワインを口に含ませたのを最後に、息を引き取った。

犯人は中岡艮一(こんいち)大塚駅の職員。18歳
原の政策や外交方針に不満があり犯行に及んだ。

息子の奎一郎さんは語る
父は、毎日夕方ワインを飲むのが好きで日課としていました。
末期の水がワインだったというのは感慨無量です。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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