野火止用水、清流復活の物語

野火止用水 ー歴史と清流復活の讃歌ー という本を読みました。

野火止用水や平林寺の歴史が詳しく書かれていてとても勉強になる本でした。

その中でも、一番心が動いたのが、「第六章 清流よ再び」

一言
野火止用水が出来たのは、江戸時代前半。
松平信綱が、それまでカラッカラでほとんど使い物にならなかった武蔵野台地に、玉川上水から分水
緑の台地に変貌を遂げていく。

飲料水、生活用水、農業用水、水車による動力原に至るまで
多くの用途に使われてきた。

明治になっても変わることなく続いていった。
大正、昭和と元号が変わっても、状況は変わらなかった。

太平洋戦争を敗北
GHQがやって来た。

野火止用水の流れる埼玉県新座市辺りを担当したのは、
大柄で、肥満、胸の盛り上がった、ローラ女史

昭和24年、彼女が目にしたのが野火止用水の上流で炊事や洗濯をし
下流で飲み水として使っている実態だった。

オーマイガッ
不潔です。速やかに改善しなさい。

日本には、「三尺流れれば水澄む」という言葉があった。

大丈夫ですよ

ノーノー、そんな訳ないです
調べて見れば分かります。

直ちに埼玉県衛生部が野火止用水の保菌検査
結果は30%以上の菌が検出され
「飲料水には不適切」
烙印ポーン

とりあえず、付け焼き刃ではありますが、その年のうちに
簡易水道を誕生させます。
2ヶ月のスピード工事

全地域とはいきませんでしたが、約1000人の人が
初めて水道の水を口にします。

2年後の昭和26年、赤痢が大流行。

ところが、水道が通っていた地域の人は、誰一人感染しなかった。

おおっ。あのおばさん、良いこと言ってくれてたのね。

水道化地区の拡充を進めていき、昭和32年に一旦完成。
昭和36年からは本格的な上水道工事へと進んでいきます。

野火止用水は上水道としての役割が、終結に向かいます。

水質悪化
並行して、野火止用水周辺地区の宅地化がどんどん進んで行きます。
家庭排水が野火止用水に流れ込み、水質はどんどん悪化していきます。

ローラ女史に言われずとも
こりゃ飲めないかも状態。

まだ水道が来ていない地域の人たちは困り果てます。

仕方ない、井戸を掘ろう。
井戸の建設ラッシュ
どんどん深掘りしないと水が出ない事態に陥ります。

こりゃまずい、ってことで水道の方も必死で頑張り
ようやく昭和41年、給水人口25000人の本格的上水道が出来上がります。

昭和39年のオリンピック以降、東京の渇水状況は急激に深刻化していきました。
そうなると、もう野火止用水に水を分水する余裕がなくなります。

ついに、昭和48年、野火止用水への分水がストップされてしまいます。

本格的上水道は出来ているので、上水道としてはなんとかなりますが
下水道が出来ているわけではない
排水は野火止用水に流れ込みます。
玉川上水からの水がストップしているのに、排水は流れ込む
即ち、野火止用水は100%下水の川となり、悪臭が漂うようになります。

反省と再考
野火止用水って何のためにあったのだろう。
飲み水が水道で確保されたら、もう野火止用水は要らない
本当にそうなんだろうか

農業用水として考えても、
農地の割合より、宅地の割合がどーんと増えた
でも、本当に不要なんだろうか。

「用水」は川と違って、土地の一番高いところを流れる
そこに、水が流れるということは、流域全体に水分が浸透して豊かになるということ
目先の事しか考えていなかったんじゃないか

この反省は、実に早かった。

ストップした昭和48年中に、清流復活の運動が巻き起こります

東京側も、動き出した。
当時美濃部都知事。

流域に、緑地の保全地区を設けて行きます。

ただ、再度水を流すということについては知恵が必要です。
流せなくなったからストッブしたわけです。

行政側が一生懸命知恵を出し、ひとつの案に辿り着きます。
昭和54年、東京都と埼玉県の8回目の連絡会議
東京都知事は鈴木俊一さんに変わっています。
「昭島市の多摩川上流処理場から、下水の二次処理水を野火止用水に流す」

住民は猛反発
それって、下水でしょ。「清流復活」じゃないです。
自然水を流してくれなきゃ。

でも、ここで、喧嘩して物別れ、にならなかった
そうなっていたら、物語は終わっていた。
同じ方向を向いていたんでしょうね。

丁寧な説明が繰り返され、住民側も態度を柔らかくしていきます。
実験と検査が繰り返されます。
昭和57年、1日2万トンを超す大規模通水実験。

どうだ。水質は

マル!きれい。
これは「清流」と呼んで良い

合意に至り、昭和57年、清流復活が正式決定されます。

進んで来ていた、下水道の整備も加速しなきゃ。
せっかくの「清流」が流れてきても排水で汚しちゃ元の木阿弥

昭和59年
枯葉に埋もれ、空堀と化していた野火止用水に、11年ぶりに水が通りました。
住民に、草木に、生き物たちに潤いが戻ります。

実は親分の玉川上水も、小平監視所より下流は、役割を終えたとして通水はストップされていました。

野火止用水の清流復活の成功を受け

昭和61年
同じやり方で、玉川上水も清流復活
親分より先だったんですね。天晴れ!

さらに、下水道率も上がっていき、流す水は二次処理水から三次処理水にランクアップ
どんどん清流

東京の渇水問題は深刻さを増し
今や、多摩川自体にも、昭島から下水処理水を放水しています。
従って、下流では、上水のための取水は一切していません。

自然水にこだわっても結局意味なかったんですね。

[歴史]シリーズはこちら(少し下げてね)

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