鬼畜米英を弔った平和観音

先週の週末だったでしょうか。
駅前のSEIYUのビルに図書館が入っていますので、予約していた本を取りに行きました。

図書館の前のちょっとしたスペースに清瀬市民が何かを展示する事が出来ます。
絵だったり、写真だったり。

この日は、清瀬と戦争
ふむふむ
観音様の写真に目が止まりました。
B29が・・
えっ、どういうこと?
B29ってアメリカだよね。

写真を撮っていると
どうぞこちらを、と
おばあさんが、印刷された資料を持ってきてくれた。

これ、すごいことですね

そうですよね
私も行って見てきたんですけどね

詳しい場所を教えてくれ
地図もくれた。

私も、ぜひ行ってみます。

今日
今日は、キャベちゃんの病院
元気になったように見えるキャベちゃん
お墨付きをもらわなきゃ。

はい。もう薬はあげなくて良いですよ
完了です。

良かったね、キャベちゃん
頑張ったもんね。
薬は捕まえて口のところに2滴垂らす。
ものすごい勢いで逃げ惑い、強烈に噛んで抵抗

それも、もうしなくて良いね。おめでとうキャベちゃん

平和観音
ということで、お昼になっちゃったので今から出かけるとなると
遠くは難しいなあ
しかも、小雨が降っている。

あっ、そうだ!

清瀬の戦争遺跡を巡るとしましょう。

平和の塔
清瀬中央公園内にあります。

手を合わせているような形
清瀬で戦争で亡くなった人たちの慰霊塔です。


ここは、当時清瀬病院でした。
1945年3月10日、東京大空襲

それから1週間後、都心の病院から包帯でぐるぐる巻きになった大勢の人たちが
まるで荷物のようにトラックの荷台に積まれ、清瀬病院に運び込まれました。

でも、清瀬病院でも何ともならず
たちまち半数が亡くなりました。

身寄りの分からない人は、近くの圓福寺に埋葬されました。
大きな穴を掘って、33体の遺体を井桁を組むように積んで
生のままで埋葬したそうです。

同年4月2日。近くに零戦等のエンジンを作っている中島飛行機があったこともあり
清瀬も大空襲を受けます。
清瀬病院にも爆弾が落とされ
患者2人が死亡しています。

その日の大空襲では、B29爆撃機115機のうち1機が高射砲で被弾
清瀬病院に爆弾を落としたあと、
東村山町南秋津の小俣宅の畑に墜落。
搭乗員11人は全員死亡します。

そして、その墜落した場所に建っているのがこの平和観音なんです。

プレートにこうありました。(抜粋)
4月2日、百雷一時に落つるがごとき轟音に驚愕した。
悪夢が夜が開けると我が家の前は、直径10米深さ20米になろうという大穴が空いていた。
8月15日終戦。我が家の庭先に散った11名の勇者の慰霊と世界平和のために平和観音を発願した。

この小俣権次郎さん、なんて素晴らしい人なんでしょう。
鬼畜米英と言い続けてきた憎き敵です。
1機が落ち、11人が死亡したところで
日本が受けた被害を思うと
ざまあみろ、やってやったぞ、と言うところでしょう。

それなのに、この11人を慰霊しようと。
プレートに11人の名前が刻まれています。全員20代だそうです。

名前や生年月日まで分かっているということは
アメリカと連絡を取り合ったという事ですよね。

アメリカも驚いたでしょう。
殺しに行った相手が連絡を取ってきて
東洋の仏様で霊を慰めたいのだと。

彼ら11人にしたって、何も日本人が憎い訳じゃなかろう。
国同士が戦争をしたから、仕事として殺しに行った

やっぱり、それ自体、戦争という行為自体が間違っている。

小俣さんの周辺では反対もあったでしょう。
でも、こうして平和観音が建っているということは
最終的に小俣さんの考え方に反対しなかったということ
これもまたすごいことだと思う。

帰りは、元、傷痍軍人東京療養所だった東京病院の敷地を通り
見事な紅葉を堪能しました。



[お出かけ]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です