富田木歩。だらりとぶら下がった足

土曜日のウォーキングで平井の最勝寺に行き、
そこに富田木歩(もっぽ)という俳人が眠っていることを知りました。
木歩の生涯を改めて書きます、と言いましたね

吉屋信子さんの書かれた「底の抜けた柄杓」という本
10人の俳人の生涯を紹介してくれています。
その中の一人が富田木歩です。

富田木歩
本所向島小梅町の鰻屋さんの家に次男として生まれます。
次男なのに名前は一(はじめ)
お母さんのお兄さんが子供が無かったため、最初から養子に出す約束だったからです。

2歳の時病気になり、それが元に足が萎えて、歩行が出来なくなりました。
養子の約束は無かったことに。

学校に行くことが出来ないので文字が分かりません。
姉の富子や久子に教えてもらいながら
いろはがるたや軍人めんこで文字を覚えました。

明治40年、全国的大水害
鰻屋は使えなくなってしまいます。
今日の食べ物にも困るようになり
姉の富子や久子は上州高崎の花柳会に売られていきました。

3年後、またしても大洪水
いよいよ、鰻屋は再興することのできぬまま
お父さんは大正元年に亡くなります。

長男が、鰻屋を細々と再開
のちの木歩は奉公に出されます。
友禅型紙彫りの仕事はとても辛いものでした。
不具の身に辛くあたられ
唯一、米造という兄弟子が親切にしてくれます。
でも米造が郷里に戻ってしまうと
もうどうにも耐えられなくなり、家に戻ることになりました。
米造、あとでまた出てきますよ。

家に戻り、内職をしながら
楽しみと言えば、雑誌を読むこと
雑誌を買ってきてくれるのは、いとこの松雄でした。
松雄は、足は立てますが聾啞者です
木歩の弟、利助もまた、聾啞者です。

鰻屋は本所の仲ノ郷に移り
母と兄弟は店の近くの叔母さんの家に同居させてもらうことになります。
雑誌の中で特に好きだったのが俳句
ちょこちょこ吟波の俳号で投稿します。
俳人木歩の始まりです。

松葉杖
ある日、木材を手に入れました
木歩はそれをノコギリで切り木工細工

何を作るんだい?

えへっ、松葉杖さ
あれは高くてとても買えないから
僕は今日から、歩ける人だっ

母に支えられ
松葉杖にしがみつき
一歩!

無情にもばたりと倒れた
松葉杖を使って立てる人は多少なりとも足に力がある人
木歩の足はだらりとぶら下がっているだけだった。

歩く事は諦めるのだけれど
この挑戦は、大きく心に刻まれた
吟波の俳号、同じ俳号の人がいたために途中で「木歩」に変わるのだけれど
この松葉杖を意味します。

18歳の時、初めて虚子の主催する「ホトトギス」に初当選。

朝顔や 女俳人の 垣根より

駄菓子屋
19歳の時、叔母さんの家を出て、母と兄弟(弟と二人の妹)で移り住みます。
ガタガタのひどい家でしたが、駄菓子屋を開きます。
店先には日除けの簾がかけてありました。

菓子買わぬ 子のはぢらひや 簾影
簀(す)の外の 路照り白む 心太(ところてん)

「やまと新聞」や「石楠」で入選が続くようになりました。
この駄菓子屋の店先に「小梅吟社」という看板が掲げられます。
木歩が先生の俳句の学校です。

ここに弟子として入ったのが、米造です。
あの親切だった米造は、田舎から舞い戻ってきたんですが
昔の兄弟子は、今度は俳句の弟子となりました。

米造以外にも、近所の何人かが弟子となり
小梅吟社は6畳の部屋に入りきれないほどの混雑。
木歩は性格が良い。

陰気さや暗さが一切なく、人を引き付ける魅力がある
明朗でもの柔らかで、謙譲。

不幸は重なったけど、話を読んでいても救われる気がします。

人が集まって来たのは、木歩の人間的魅力だけではありませんでした。
末の妹まきの美貌
米造は、密かにまきの事が好きだった。
そしてまきも米造の事が。

まきは生活を助けるため、近くの櫛工場に通います。
そこでのまきの女友達が、木歩の初恋の相手です。

新井声風
慶応の学生、新井義武、俳号が声風
自分自身で「茜」という俳句の雑誌を出しておりました。

声風の目に止まったのが、木歩が投稿した俳句
どんどん木歩の句に惹かれるようになり、
木歩に会ってみたくなります。

お坊っちゃん育ちの声風には何もかも衝撃だった
汚ならしい駄菓子屋
すえた匂い
そして
この青年があの秀句の作者なのか

生涯の友となる、新井声風との出会いです。

続きは明日ね

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

富田木歩。だらりとぶら下がった足」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 富田木歩。墨堤に消ゆ | でーこんのあちこちコラム

  2. ピンバック: 富田木歩の生涯を追いかけて | でーこんのあちこちコラム

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