富田木歩の生涯を追いかけて

(2021/1/31[日]の事です)

土日連続でお出掛けしちゃいました。
カミさんが珍しく、土日とも仕事だったんですよね

向島
この前、平井の最勝寺に行ったとき、富田木歩(もっぽ)の存在を初めて知りました。
富田木歩。だらりとぶら下がった足
富田木歩。墨堤に消ゆ

結局、最勝寺で墓は見つからなかったから
富田木歩に手を合わせられていない。

そのあとも調べると、富田木歩終焉の地という碑が隅田公園の中にあるという
やはり、行って手を合わせたい。
私の気持ちの問題です。

であれば、本にあった木歩の生涯
特定できる場所は分からないけど
分かる範囲で辿ってみたい。

押上
最寄の駅は押上
スカイツリーの駅です。
木歩を辿る道が、このような現代的なところから始まろうとは。

■森鴎外旧居跡

千住で旧居跡を見ました。その前という事です。

■弘福寺
弘福寺については、二つの意味で是非来たかった。
ひとつは、木歩がこの境内にお姉さんたちと住んでいた頃があるということ
もうひとつは開山の鉄牛
五百羅漢寺の松雲元慶を助けたあの心意気
五百羅漢寺。五百羅漢像を一人で彫った松雲元慶という男

境内に住んでいたのか
今よりもっと広かったという事ですね

牛島神社は今は三囲神社より南にありますが
弘福寺と隣接した牛御前社がそれ
別当寺は最勝寺となっているので、最勝寺に墓があったわけですね。

隣の長命寺は桜餅で有名です。

前回ウォーキングで来て、中に入ってみて
値段を見て
失礼しましたぁ
と出てきた覚えがあります。

隅田川
やっぱり隅田川の近くに来たなら、隅田川には出てみませんとね

■言問団子(ことといだんご)
再度戻ってくると、あっ言問団子

在原業平の歌にちなんでおります。
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
詳しくはこちら

桜餅は諦めましたが、言問団子なら何とかなるのでは

ガラガラ
・・・

失礼しましたぁ

■銅像堀公園
ちょっと距離があるんですが
せっかくですから、「行ってみたい」場所潰し
西村勝三が作ったおそらく靴の工場跡にできた銅像堀公園
西村勝三は文明開化の申し子で、明治のエジソン
実に色んなものを作り、会社として立ち上げた。

銅像堀公園には、以前西村勝三の銅像があって今は無い。
無いんだから、見に行く必要は無いんだけど、
つい、行ってみようと思ったのが大きな間違い。

自転車置場のところに「銅像堀公園」と書いてあったので
その奥に公園があるんだと思っても、どうにも無い
ぐるっと回って逆側に入口があるのかなと思って回り込もうと
ずんずん歩くが、いつまで行っても、アサヒ飲料の工場の敷地
結局あとでネットで調べると、どうも自転車置場そのものが銅像堀公園らしい
そんなバカな
どれだけ頑張ったか
昔の銅像はこんな感じだったみたい

ずいぶん先まで行っちゃったけど、隅田川の川横の隅田川テラスを
隅田川を見つつ戻ることにしましょう。

いっぱい歩いて、言問橋のところまで来ました。
時系列が逆転しますが
三囲(みめぐり)神社のあたりが、昔、小梅村と呼ばれていて
その中のどこかに「大和田」という鰻屋があり
その息子として木歩は生まれた。

そのあと、さっきの須崎町の弘福寺の境内に引っ越し、玉の井ら引っ越し、また須崎町に戻ってくる

三囲神社に木歩の句碑がある
「底の抜けた柄杓」の本に、鳥居を入って右の木立の奥にあると書いてある
いくら探してもない
これは諦める訳には行くまい。
三囲神社の境内には実に多くの歌碑がある。

しらみ潰しに確認していきましょう。

これが最も有名な、芭蕉の一番弟子、其角の句碑
夕立や田を見めぐりの神ならば

其角が三囲神社を通り掛かった時
雨乞いのお祈りの最中だった。

何してるん?

ちょうど良いところに。
先生、雨乞いの句をちょちょっとお願いできませんでしょうか

そうかい?
それでは、スラスラスラと

頭だけ読むと「ゆ た か」
三囲神社も入っているしね

翌日、雨がどどっと降りました。

三囲神社は三井グループの守護神
三井の井を四角く囲んで三囲です。
ということで、三越ライオンが奉納してあります。

ずいぶん探して
あったぁ

夢に見れば 死も懐かしや 冬木風

■すみだ郷土文化資料館
一度来たことがあるんですが
企画展が「東京大空襲」ということだったので入ってみました。
100円だし。

びっくりしました。

赤いところが、焼失したところ
隅田川から東はほとんど全部焼け野が原だったんですね
これほどまでとは思いませんでした。

火の海の中を逃げ惑う色んな資料
直視出来ませんでした。

大空襲と大震災の違いはあれ
同じ火の海の中
全く足の立たない木歩を背負い
新井声風は、先程私が歩いた隅田川沿いを歩いて逃げたんだなあ

■隅田公園
元、水戸徳川家の下屋敷です。
ここに来るのは3度目
ずいぶん長くリニューアル工事中だったんです。

きれいになってました。




特にこんな広い芝生は無かったと思う


横の東武線の高架下にお洒落な店がいっぱいオープンしていました。

そして、本日メインの目的です。
公園の一番端に、富田木歩終焉の地
過去2回は気づきませんでした。

橋を渡って浅草側に渡ろうと、弘福寺の前の土手からおぶってきた新井声風
橋が焼け落ちているのを見て万策尽きた。
足が全く動かない木歩をおぶって、向こう岸まで泳げる筈もない
火焔に包まれた。

もう どうにもならない。

木歩は言葉を返さない。
ただ、親友の手を握り返した。

一人は川の中へ。一人は火の中へ。

静かにじっと手を合わせました。

[お出掛け]シリーズはこちら(少し下げてね)

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