(1/4の事です)
梅屋敷から
京急線梅屋敷駅スタート
■妙典寺
■椿神社
を経て
■聖蹟蒲田梅屋敷公園
梅屋敷駅の名前の由来になったのがここ
山本忠左衛門が「和中散」という常備薬を販売していた。
かなり有名でスタンダードな薬。家康の腹痛を治した事もある
かなり儲かったんでしょう。三千坪の広大な土地
息子の九三郎が梅の木100本をはじめとして、
色んな植物をいっぱい集めて名庭園を伴った茶屋を作った
文人たちに愛され、亀戸の梅屋敷とともに蒲田の梅屋敷は大にぎわいとなる
12代将軍家慶が鷹狩りの時に休憩所にしたぐらい。
歌川広重にも描かれています。
明治になっても評判は続き、
明治天皇も行幸
「聖蹟」と付いているのは、天皇陛下が来られたという事です
歌碑とかも再現されていて
文人たちに愛された事が分かります。
■薭田(ひえだ)神社
平安時代の延喜式に出てくる延喜式内社
無茶苦茶古いぞ
■蒲田八幡神社
■松竹映画発祥の地
えっ、まさか
以前、蒲田の現場で働いていた事があるんですが
まるまるそのビルの敷地内
当時、全くその存在を知りませんでした。
改めて、興味があることが違うと、見えるものも違うんですね
♪チャンチャラーラララ チャンチャラーラララ
キネマの天地
銀ちゃーん
今度はJRの方の蒲田駅から一つ戻って、大森駅へと参りましょう
大森
■善養寺
新井宿義民六人衆の墓があります。
新井宿の百姓たちは、飢饉があって、年貢の取り立てが苦しいと
訴状を作って減免を訴え出る
でも、黙殺
かくなる上は、上様に
4代将軍家綱に直訴する事を計画
これって、やっちゃいけないことです。
組織の部門長のメンツ丸潰れですから
やったら、内容に関わらず死刑です。
にもかかわらず、六人衆は自らを捨てての行為に出る
残念!
事前に密告があり、処刑されてしまいます。
犯罪者って事になりますが、犯罪者は墓は作ってはいけません。
吉田松陰だったり、八百屋お七だったりは墓がありますが
それは後々の人が、可哀想だと供養塔として作ったもの
遺骨は入っていません。
でも、なんとか墓を作ってやりたいと画策
お父さんとお母さんの墓だと偽り、墓を作る
裏にこっそりと、6人の名前
表に水を掛けると、裏に水が流れる構造
■熊野神社
善養寺の奥は熊野神社です。
とっても長くて急な階段
すれちがった親子連れ
とても小さな女の子
一番上のところで
行ってみる?
えっ、あかんやろお母さん
でも、両手をお父さんとお母さんにもってもらいながら
いぃち、にぃい
最後まで降りれました。
なんか感動
■馬込文士村
この辺り、作家等の芸術家が数多く住んでいる
まだ、資料館は空いていなかったけど
入口のところに地図があった
こんなに?
■日本帝國小銃射的協會跡碑
明治時代に射的場があった跡
とはいっても、お祭りで煙草の箱を倒すような射的場ではありません。
西郷隆盛の弟、西郷従道の提案で作られた。
今の世の中、一般人の誰でも小銃が扱えるようにならんといかん
と、練習場
ほんまかいな
当時、この辺りは一面の原始林
林へ向けて、
ズドーーーン
だんだん、宅地化が進んでくると、
危ないという理由で廃止
はい。危ないと思います。
■天祖神社
源義家が鎧を掛けた松がかつてあった。
今はないんですけど。
これだっ
大森駅の真ん前ではあるけど崖の上の小さな神社
横にいた奥様が、神主さんに言った
すみません、葉書をいただいたんですけど
どうぞどうぞこちらへ
おそらく子供のいる氏子さんへダイレクトメール出していて
その葉書を持ってくれば、子供の喜びそうなおもちゃとかのお年玉がもらえる。
こんな神社始めて見ました。
神社仏閣、思いきりいっぱい歩いていると
名の知れた大きな神社は良いけど
小さな神社には、ほとんど社務所に人がいない
例えばさっきの薭田神社のような、由緒のある神社でさえ
蒲田八幡神社と兼務している。
とても苦しい。
でも、こんな風に色んな事を考えて、頑張っている神社だってあるんだ
■大森貝塚の碑
この前、品川郷土資料館に行って、大森貝塚の碑の話をしました。
品川歴史館は涙もの。モースさんと仮営業の時刻表
大森貝塚がどこにあったか、区の威信をかけての論争があり
大田区は大田区で碑を作り、品川区は品川区で碑を作っている
品川区の碑は見たことあったけど、大田区の方の碑は見たことなかった
よし。大田区の碑を見るぞ
やったぁ。パチパチパチ
そこから歩いて、5分くらいかな
区の境を跨いで品川区
品川区の方は、立派な記念公園まで作っちゃっています。
モース先生は、とっても日本びいきで、ユーモアのある先生
大好き
その公園の、線路横に、品川区の碑
どっちの区も頑張れ!
■鹿島神社
あの有名な鹿島神社が勧請されて、ここにも
以降もいくつか神社仏閣を巡って帰りました。