[天皇]73 堀河天皇。嫌だっ、部屋から出ないぞ

天皇シリーズ

堀河天皇
1086~1107年

白河天皇が、後三条天皇の描いたイメージ、弟へのワンポイントリリーフなんぞになってたまるか、と自分の子供に譲位した。

堀河天皇、8歳

摂政には藤原師実(もろざね)
白河法皇が自分が天皇だった時期に10年ちょっと助けてもらった。
気心が知れている。
堀河天皇からすると、お母さんのお父さん。外祖父。
譲位して白河法皇になった途端に、独裁的院政が始まった訳ではない
継続して、師実がもろもろ事を進め、白河法皇との間もうまく行っていた。

その後、寛治8(1094)年に、師実は息子の師通(もろみち)に関白を譲る

堀河天皇は、白河法皇とは真逆な性格。
物静かでここに優しい。
短歌や笛に能力を発揮する。

成長してくると自我に目覚める
とは言え、頑固親父に抵抗できるような性格ではない。
気に入らない事があると、部屋から出てこないというくらいのささやかな抵抗。

新しく関白になった師通はイケイケの性格。
よし、自分は無理だけど、師通に喧嘩役をやってもらおう。

師通も「まかさんかいっ」

白河法皇に対してもそうなんだけど
一番矛先を向けたのが、当時の大問題、寺院勢力
延暦寺、興福寺、園城寺

ぶっ潰せ

寺院勢力は武力を持ち、強訴(ごうそ)を行いやりたい放題
神様仏様を前面に押し出しているから、バチあたりになるのを恐れ
むやみに手を出せない

師通は、なんぼのもんじゃいと、源頼治を使って延暦寺を撃退
延暦寺は師通を
死ねぇ~ 死ねぇ~ と呪詛

病気で急死

ほら、バチが当たったんだと、延暦寺は吹聴して回った。
師通の関白はわずか5年

次はその息子、藤原忠実
まだ22歳

はい、もうここからは白河法皇の独壇場です。

堀河天皇の奥さんは、まず篤子内親王
13歳の時に、内親王は32歳
そら、無理でしょう。
子供はできませんでした。

次は藤原実季の娘
ようやく、後の鳥羽天皇が生まれました。

白河法皇も大喜び

人柄が良く頭も良かったのでみんなに好かれた。
もともと病弱だったので、29歳の若さで崩御するが
8歳からなので、21年間。
そこそこ頑張ったと言えるでしょうか

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です