[首相]20-2 なぜ2.26事件が起きたのか

岡田啓介首相の続きです。

2.26事件
どんどん時代がおかしな方向に向かっていきます。
暴力でねじ伏せようという

その前にも度々テロが起き、首相も狙われた。
5.15事件では、犬養首相が暗殺されている。

5.15事件以外にも、血盟団事件、三月事件、十月事件
血盟団事件でも5.15事件でも、国民から助命嘆願書が大量に届き
軽い処分に終わった。

世論によって、最大のクーデター2.26事件が起きたとも言える

皇道派と統制派
陸軍内で、派閥争いがあった。
皇道派は、荒木貞夫と、彼を崇拝した青年将校たちによる派閥

天皇親政、すなわち天皇がもっと直接政治も軍の指揮もすべきだとする
実力行使も辞さないと考える
それに対して、統制派は議会を通して合法的に「高度国防国家」の実現を目指す。
2.26事件は、派閥争いの中で、皇道派が追い込まれ爆発して起こした事件

これだけ書くと統制派は穏健派のように思えるが、そうはならない
2.26事件で、皇道派が力を失うと
統制派の独壇場となり、どんどん過激になっていく
中心人物であった永田鉄山の死後、東條英機の主張が統制派の主張となる

皇道派の中心であったはずの荒木貞夫は派閥争いに敗れ、陸軍大臣を下ろされる。
陸軍大臣は、統制派の林銑十郎になる
青年将校たちは夢破れ、次なるリーダーとして、真崎甚三郎を担ごうとする

そんな中で相沢事件が起きる。
統制派の中心人物永田鉄山を皇道派の相沢三郎が殺してしまうという事件。
公判の証人として、真崎甚三郎が呼ばれたその翌日に、2.26事件が起きている

首謀者は、磯部浅一(32歳)、村中孝次(34歳)、栗原安秀(29歳)
事前に、真崎に決起の意思を伝えているが
その時真崎は無言で、やれともやるなとも言っていない。

彼らの根幹にあったのは北一輝の著した「国家改造法案大綱」
憲法の停止と戒厳令の施行を行い、
天皇に任命された議員によって国家改造議会を行い、
天皇中心の世の中に変えるというもの

ただ、後の公判であきらかになったのは
必ずしも一枚岩でその思想を共有していた訳ではない
そもそも本を読んでいなかったものも多数いる
行動を共にした青年将校たちはほぼ20歳台だった

首謀者の3人ですら、クーデター後の政権運営のビジョンを持っていなかった。
自分達が事を起こせば、皇道派幹部達が連動してくれるだろう
あとの事は、幹部達に任せば良い、と

例えば、磯部と村中は、十月事件を起こして停職中だった
個人的不満の方が大きいかもしれない。

昭和維新決行
村中、磯部、栗原の3人が集まりターゲットを決めた
岡田啓介首相、斎藤実内大臣(前首相)、前内大臣牧野伸顕、鈴木貫太郎侍従長、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監
元老西園寺公望は当初ターゲットとされたが、その後ターゲットから外されている

午前3時過ぎ、非常呼集によって集められた将校達に
首謀者が紹介された。
総勢1558人。その中には民間人もいた。
決起趣意書が読み上げられ、尊皇討奸を合言葉に2月26日が始まる

(出典 2.26昭和維新成らず より 以下同)

岡田啓介首相は、同居していた義弟松尾伝蔵を間違えて殺害
首相は難を逃れる
前内大臣牧野伸顕は負傷したが命は助かった。
鈴木貫太郎侍従長は重傷を負いながらも一命はとりとめた。
斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監は殺害される

朝日新聞社をはじめとして、いくつかの新聞社を占拠
決起趣意書を掲載させる

野中四郎が率いる歩兵第三連隊450名が警視庁ヘ向かい警視庁幹部と話し
何の抵抗も受けず、占拠に成功する

さあ、このあとどう終息に向かったのか、続きは明日

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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