[天皇]88 後嵯峨天皇。長年の火種を作った天皇。

天皇の歴史としては大きな転換点となる天皇です。

後嵯峨天皇
1242~1246年

前の四条天皇、2歳で即位したが、病弱なのでそう長くはなく
守貞親王の皇統は途切れるだろう
ということで、早い段階から次への一手の検討が始まっていた。

交野宮(かたののみや)のところまで話しましたね
せっかく候補になったのに、本人がびっくり事件を起こしちゃって離脱

となると、候補は3人
1.仲恭天皇
2.土御門天皇の息子
3.順徳天皇の息子

いずれも、承久の乱がらみ

仲恭天皇は即位の礼すらしてもらえず史上最短で廃帝させられた。
その人を復活させるっていうのもねえ。

残りは二人だけどやっぱり、島流しとなった天皇の息子って大丈夫なの?

道長を中心とした、公家達は強く順徳天皇の息子を推す
順徳天皇はとても優秀な天皇だったから、その夢をもう一度

ただ、幕府(執権)側がどうしても認められなかった。
後鳥羽上皇と共に中心になって承久の乱を起こした張本人の息子
ここで、その皇統に天皇を継がせるってことは

天皇を臣下の筈の執権が配流させるという前代未聞の事をやったそれを
間違いだったということに等しい。

ましな方という判断。
土御門の系統ならなんとか

12歳にして、亡くなってしまった四条天皇のあと
後嵯峨天皇が即位することとなった。

譲位
守貞親王の系統と異なり
後嵯峨天皇には複数の息子がいた

守貞親王系統が散々繋ぐことに苦労したのに比べると安泰。

第一皇子は宗尊親王(むねたかしんのう)
宗尊親王が天皇を継ぐと思いきや、
第二皇子が天皇を継ぐことになった。

おそらく母親の家柄
宗尊親王のお母さんは、中宮でもないし、公家でもない

この頃の天皇にとって一番の関心事は
よし、国のトップとしてこんな政治をするんだ、というようなことではなく
早く自分の息子に天皇を譲って、自分の皇統を作り上げること。

たった4年天皇をやっただけで、もう譲位。
後深草天皇です。

宗尊親王かわいそう
でも大丈夫。
執権の時頼は、摂家将軍より
自ら天皇と直接やり取りしたいがために
将軍家と天皇家とを一緒にしちゃおうというスペシャルプラン

大変失礼なんですが
宗尊親王空いてますよね。

頼継将軍を失脚させ、宗尊親王を将軍に。

複数息子がいた、と言いました。
実はもうひとり。

後深草天皇と同じ母親の弟です。

後深草天皇には健康上の不安があったので、
弟がいれば、安心安心。

と思ったのですが
この、二人の息子が、このあととても長く続く天皇家の火種
両統迭立(りょうとうてつりつ)
そして、その延長で、南北朝という天皇家分裂にまで発展しようとは。

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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