[富岡日記]8 後ろ指さされないため

和田英の富岡日記、やっぱり有名なのか
[富岡日記]2 神様お願い
[富岡日記]3 盆踊りが思わぬ方向に。
[富岡日記]4 やはり七粒も八粒もお付けになりましたか
[富岡日記]5 郵便とやらで手紙を出したら
[富岡日記]6 二日目からダウン
[富岡日記]7 頑張る理由。横田家の無念
の続きです。

横田家の無念、の続き
英のお母さんのお兄さん、即ち英のおじさんの九郎左衛門
松代藩の国が栄えるようにと、川に舟運の舟が往き来できる港を
私財を投げ売って完成させた。
ようやく開業できたと思ったら幕府から差し止め命令

散々許可を得るための付け届けを受け取っておきながら。

時代は幕末なので、尊皇攘夷の嵐が吹き荒れているとき。
頭に来て、武力による倒幕を考えそうなもんですが
九郎左衛門は違っていた。

学問を身に着けていなかったから
結局は有効な反論が出来なかった。
学問を身につけよう

江戸に出て、林大学のもとで、ひたすら学問
国元の横田家も、主の不在をみんなでカバーしながら
学問を身に付けてよりスケールが大きくなって帰ってくることを期待して待ちます。

そしてようやく卒業の時がやって来ます。

本人も国元の横田家も多いに喜んだ。
江戸で得た人脈も利用しつつ、「新たな次の手」を着手出来るでありましょう。

ところが、なぜ神はこの熱意ある青年を助けてくれないのか
急病に倒れ、そのまま帰らぬ人に
享年28歳

無念はいかばかりであったでしょう。

不思議なことに、協力してくれていた人たちからも
あいつは山師だ
一攫千金を狙っているからバチが当たったんだ、と
おかしな噂が出るようになります。

常に国のため、みんなのためにと頑張ってきたのに
残された、横田家は肩身の狭い思いをすることになります。

英のお母さんは、それ以来、全く神様を信じなくなりました。
元々信心深い英は、母親に隠れて、神社通いすることになります。

元々名家だった横田家、主の九郎左衛門を亡くしたので
妹の英のお母さんに養子を取ることになりました。

条件の良い話がいっぱい持ち込まれるんですが
おじいちゃんが、どうにもどの人も気に入らず、全て断ってしまいます。

そして、おじいちゃん自ら見つけてきたのが、今の英のお父さん謙吉です。

でも、家柄も良くないし金もない
一旦は断るんですが、おじいちゃんの熱意に負けて引き受けます。

それ依頼、懸命に働き、横田家の無念を晴らす事のみに集中します。

そしてその思いを引き継いだのが英ということになります。

富岡製糸場の募集があったときもいの一番に応募したのは
その思いがベースにあったのです。

人一倍頑張って、富岡製糸場で筆頭になり
六工社の立ち上げのために帰ってきた。

人力車の先頭に英がいて、村中が人だかりになったときも
英の気持ちは、鼻高々、ってことではなかった

六工社をなんとしても成功させねば
この反動で、横田家がみんなから後ろ指さされる

その気持ちが一番強かったんです。

[人物]シリーズはこちら(少し下げてね)

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