[天皇]92 伏見天皇。狛犬ボン。天皇暗殺未遂事件。

伏見天皇
持明院統 1287~1298年

このあたりの時代です。

獅子狛犬爆破
大覚寺統の亀山天皇のあと、その皇子だった後宇多天皇がつづき、
またまた持明院統に戻って、後深草天皇の皇子であるこの伏見天皇が即位した。

この時、後宇多は21歳、伏見は23歳
あらま、歳とった方に譲位なのね

間を取り持った北条貞時も一安心
になるわけなく
持明院統と大覚寺統の対立がだんだんエスカレートしていきます。

正応3(1290)年3月4日
紫宸殿の御帳の前にあった獅子狛犬が、突然破裂した

ボン!

原因も、犯人もわからない。
狛犬は良い迷惑

誰かを殺そうとした?
だったらやっぱりターゲットは伏見天皇

確かな目的と犯人を探らねば
そんなとき、この時代に一番信頼されているのは占い師

出た結果は
〈血流るべし〉

ウヒョー

浅原為頼
そのすぐあとの、3月9日でした。
嫌な予感が現実のものになります。

甲斐国小笠原氏の一族という浅原為頼が、数人の武人を伴い、
白刃をふるって富小路の内裏へ乱入してきたのである。

顔も見せたまま、ふてぶてしく天皇に肉薄してきた。

逃げる伏見天皇
助けてーっ

これをっ

伏見天皇は女装してあやうくのがれ、
春興殿にかくれた。
息子の皇太子もやっとのことで脱出し、
女官がふところに抱きかくすようにして常盤井殿へ逃げた。

ふーっ

討ちもらした浅原為頼とその一族は御殿の闇の中にかくれて、
その夜が明けないうちに自害して果てた。

本人が死んじゃったので、
その動機も、誰かの差しがねだったのかも分からない。

そんな時は?
はい、占いですね

どうでしょう

うーん
分かりません

えっ

噂が広まるばかり
大覚寺統と持明院統がいがみ合ってますから
まあやっぱり疑われるのは大覚寺統

亀山の仕業では?

1ヵ月が過ぎた4月8日
三条宰相・中条と実盛父子も捕えられ、六波羅に送られた

次はいよいよ本丸か

伏見天皇がこの暗殺未遂事件を徹底的に追及しようとした矢先

大覚寺統の亀山上皇も後宇多天皇が、そろって
この事件にかかわりはないという誓紙を書いて、鎌倉幕府へ届けた

あっ、そうなの?
関係なかったのね

誓紙提出だけで良いのか
まあ、血の雨が降らなくて良かったけど


伏見天皇は文化面でも足跡を残した

まずは、書

そして短歌
当時、藤原定家のひ孫の京極為兼が「京極派」という派を形成していた。
京極派の代表的歌人が伏見院

星清き 夜半(よは)の薄雪 空晴れて 吹きとほす風を 梢(こずゑ)にぞ聞く
(星の清らかな夜半、薄雪が降った空はすぐ晴れて、木々の間を吹き通す風を梢に聞くことだ)

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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