[首相] 33 片山哲。1円で相談に乗りましょう

日本国憲法施行後初の総選挙
吉田茂は本人はトップ当選したものの
自由党は第一党にはなれませんでした。

社会党
社会党が143名で第一党、日本自由党は131名で第二党、民主党が121名で第三党

社会党の西尾は、その瞬間「えらいこっちゃ」と叫んだと言います。
誰一人政権を担った事のあるメンバーはいませんでしたので。

第一党とはいえ、過半数には遠く及ばず
連立を組まざるを得ません。

自由党、民主党、国民協同も含めた4党での連立を組むべく
片山や西尾は、奔走します。

社会党は右派と左派でかなり差があります。
自由党は、左派が大嫌い
連立の条件は左派と手を切ること

まあまあ、そこは、とぼやかしながらなだめ
4回4党での会合を重ね、何とか合意に達した

首班指名ではの時は、片山哲が420票。
次点が吉田茂ともう一人でたったの1票
いまだにこの大差の記録は破られていません。

ところが、最後の最後
自由党が最初の話を蒸し返す。

左派と手を切るという事に対して答えをいただいていませんが。

えっ。首班指名も終わりましたやん。

最後の最後に決裂して自由党は離脱

信任式に組閣が間に合わなかった
結局片山首相自体が、9つの大臣を兼任して9日間時間稼ぎ
「一人内閣」と呼ばれます。

片山哲

片山哲の父省三は謹厳実直な弁護士、母雪江は熱心なクリスチャンでした。
片山は父の「清廉で己を律する性格」と母の「奉仕の精神」を受け継いだ性格
両親から受け継いだ考え方はキリスト教社会主義
「革命」とかいう大袈裟なものではなく
近くに困った人がいれば進んで助けましょうというもの

優秀な弁護士になります

戦前の1918年に簡易法律相談所を開設しています。
この相談所は訴訟を行わず和解専門。
争いではなく、平和に物事を解決しましょう
そして、驚きの相談料
初任給が50円の時代にたったの1円

そんな片山が、首相になって
それなりに社会主義的政策も打ち出しはしますが
もともと、優しい性格

基本的にはGHQの言いなり
とは言え激動の時代ですから
片山内閣時代に作られて、今も息づいている仕組みや法律はいっぱいあります。

やはりこだわったのは、社会主義的経済政策
失業保険の創出は最たるものでしょう
「臨時石炭鉱業管理法」はエネルギーの根幹を国有化しようというもの
ずいぶんこだわったのですが、残念ながら各方面から、
また、社会党内部からも批判が続出し、妥協を重ねながら、骨抜き状態になりました。

最終的には、内閣の中で汚職事件が発覚
清廉が持ち味の首相だったので総辞職に追い込まれました。

その直後の選挙では本人が落選してしまいます。
社会党も大きく議席を減らします。

首相時代には、いまひとつ、と評価されてしまいますが
社会党の中心人物であり続け
中国との国交正常化の時は
強いパイプを活かして大きく貢献します。

民主主義、平和主義を生かしてくれる青い鳥を探しに、
慣れない空の旅を強行している。
青い鳥は何処かにいるに違いない。

落選後の言葉です。

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

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