[ことば日本史] 棟梁

ことば日本史平安時代から

棟梁(とうりょう)
これがなくては立たない

建物の棟(むね)と梁(はり)をあわせて棟梁。
建築を支えるもっとも重要な部分だ。

古くは一国の重臣のことをさした言葉だというが、
十世紀末には武家社会のトップリーダーを「武門の棟梁」と呼ぶようになった。

おもに平家と源氏の嫡流のことである。

中央集権政府がちゃんと機能している時は、
その政府が、税を取る変わりに、人々を守ってやる、という持ちつ持たれつの関係になる
警察機能だったり裁判機能をもち、揉め事があると、その政府に訴え出る
こっちの勝ち、と言ってもらい、負けた方も、仕方ないと諦める

ところが、平安時代も後半になってくると、中央集権政府であるはずの朝廷が力を失っていく。

そうなると、揉め事は自分で解決する必要がある
訴え出たところで、負けた側が
朝廷だぁ?ちゃんちゃらおかしいやいっ
と言ってしまえば意味がなくなる

いわゆる武力を持って、自分の事は自分で守らねば

武士の台頭です

情けないことに、朝廷自身が自分を守るために武士を雇うようになる

そうすると、単なる力の優劣だった筈の武士たちに、権威的なものが加わる

武士としても、常に武力だけで守り
ビクビクしながらの人生は疲れる

「権威のある武士」に揉め事の仲介役をお願いして安心したい

そういう「権威ある武士」を武士の棟梁と呼ぶ

平家だったり、源氏の嫡流
血筋がものを言うようになっていく

そして、ピラミッド型の体制が
武士の中に出来上がっていく。

最終的に「武士の棟梁」が各地方の武士たちをまとめあげ
朝廷に反乱を起こすほどの力を持つようになる訳です。

承久元年(1219) 1月に実朝が暗殺されて
源氏の嫡流が絶えてからは「武士の棟梁」という言葉はあまり使われなくなり、
江戸時代になって、大工の方がこの名で呼ばれるようになる。

[ことば]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です