幸せの国ブータンの観光事業、それは観光なのか

寺院への立ち入り
では、観光客に最も魅力的であろう寺院はどうするか
真剣に議論されます

ブータンの特徴のベースになっているのが仏教の信仰。
かなり信心深い。
ほとんどの政策が、この仏教の信心深さゆえのものです。

日本人の感覚で言えば、寺院、仏像、仏画などは鑑賞の対象
見て、おお素晴らしい、と

ブータンの人の感覚では、あくまでも礼拝の対象。
それ以外の価値は「何もない」

となると、寺院で観光になるという事自体が分からない。

観光客には、仏教徒以外もいるのではないか
そんな人にずかずかと立ち入られては仏様に失礼に当たる
写真撮影なんで言語道断。

さらには、仏様のご利益を外国人に持って帰られては、自分達の取り分が減るという、そんな意見まで有ったらしい。

結果として、観光客の立ち入りはごく一部の寺院だけで、それも境内までで、堂内は全てダメ
その場合も、写真撮影は外観のみ、となったのです。

登山
1980年に、観光事業の一環として登山が解禁に。
寺院がダメとなると、重要な観光資源は山しかありません

ネパールでは山で大きな外貨を稼いでいます。
登山ブームがブータンに訪れます。

ところが
そのブームは2年ほどしか続かなかったのです。

もともと、ブータンはネパールのように、シェルパという職業の人はいません。
政府が農民を徴収してなんとか解決。
農民にすれば、今までよりかなり多くの収入が見込めるはず

ところが
登山期と秋の農繁期が重なった。
農民は本来の生業に支障をきたすことになる。

そして、一致団結した農民から国王に直訴状が提出される。
「仕事もない人たちの仕事のために、わたしたちは自分達の仕事ができません」
農民からすると、登山家は「仕事もない人たち」にうつったようです。

即座に、登山永久禁止条例が出されることになりました。
今も、7000m級の山が未踏峰のままです。

自分達の価値観
これらのエピソードでも分かるように、自分達の価値観こそが大事なのであって
カネのため、はどうでもいいんです。
比較してこっちの方が儲かるという価値観がない。
今まで、一度も飢饉にあったことがないという豊かな自然があるからというのがあるんでしょうが、今ちゃんと生活できている訳です。
であれば、より豊かに暮らす事に興味がない。
そんなことをすれば仏様からバチが当たるからです。

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