[ことば日本史] 判官びいき

源義経は、法華経を読みおえると、北の方(妻)の親である兼房にいった。
「どうやら、自害すべきときがきたようだ。自害とは、どのようにすべきものなのか」

「都で佐藤兵衛が自害したときには、評判が高く後々までめられておりましたな」

「ああ、それなら、わけはない。きず口が広いのがよいということだな」

義経は、幼い頃から守り刀として差してきた名刀を握り、
左の乳の下から、背中までも
突き通れとばかりに突きたて、
刀をまわして口を掻き破り、存分にはらわたを抉り出してから、
刀を服の袖でぬぐい、膝の下にかくして、脇息にもたれた。

それから北の方を呼んで、故郷へ帰るように告げた。
だが北の方は、自害を望み、養父としての情に断る兼房に無理やり、刀を立てさせた。

そこへ五つになった若君がやってきて、両親が死出の山を越えて黄泉へ行ったと聞くと、
わけもわからぬまま、自分も死出の山へ連れてゆけとせがむ。

いかんともしがたく兼房は、刺した。

そして、まだ生後七日の姫君も、刺した。

若君の亡骸を義経の衣の下に。
姫君の亡骸を母の衣の下に。

このとき義経には、まだ息があり意識が戻った。

「北の方はどうした」

「自害されました。お側におられます」

「これは誰だ」
手探りして尋ねた。

「若君でございます」

義経は、北の方へと手をのばし、すがりついた。
これが最期の言葉だった。

「はやく屋敷に火をかける。敵が近づくぞ」

皆を見送った兼房は、走り回って屋敷に火をかけた。
ごうごうと燃え上がる火炎にむせびながら、兼房は最期のひと暴れとばかり、
油断していた敵を一人、馬からひきずり下ろし、脇にはさみこんだ。

「一人で越えねばならぬ死出の山だが、供をしてくれ」

道連れを抱えたまま、炎のなかへと飛び込んでいった。

平家との戦いでは大活躍したにもかかわらず、
頼朝に追われて衣川に非業の死をとげた義経は、
同情を誘う悲劇のヒーローである。

義経は、検非違使の時、すなわち「判官(ほうがん はんがん)」と
呼ばれる位にあったことから、義経に対する同情、

ひいては立場の弱い者に味方する心情は、
「判官びいき」と呼ばれるようになった。

このような弱さに対する偏愛は、日本人の一種の美意識。
あるなあ。

弱いものに対して、頑張れ、っていうのは自然に生まれてくる感情なので
実は世界共通のものらしいけど
ことばの影響って大きいですね

「判官びいき」ということばが存在するがゆえ
そしてそれが日本人に共通しているのだというイメージは
やはり、自分の感情を納得させやすいので
結果として、日本人にその傾向が強くなっていると思う。

[言葉]シリーズはこちら(少し下げてね)

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