[東京ミステリー]ヤマトタケルの人気の秘密

前回、東京ミステリーシリーズで、関東に無茶苦茶多い氷川神社の話をしました

今回は、やはり東京を歩いていてあっちこっちの神社につ祀られているヤマトタケル

古事記・日本書紀の神話に出てくる人物で
やたらに人気がある

古事記・日本書紀では東伐したことになっているので
元々の関東の人からすると征服者のはず

心情的に拒否しそうなものですが
根津神社、鳥越神社、白鳥神社、妻恋神社、
富岡八幡宮、下谷神社、花園神社等々
ゆかりの神社が110もあります。

東伐というからには、古事記・日本書紀で勇猛果敢なエピソードが満載かと思いきや
敵をガンガンやっつけて的なのが全くない

やられそうになって、草薙剣で草をかったら、火がおきて勝っちゃったとか
船でおおしけに会い、沈みそうになって、
オトタチバナヒメという奥さんが自ら海に身を投げて海神を沈めたとか
その後も、奥さんのことを想い続けて、我が妻よ、と言ったのが東をあずまと呼ぶことになったとか

そもそも、東伐せよと命じられたのは、お父さんの景行天皇に嫌われたから
草薙剣を授かったくらいなので、次期天皇には違いないのに、
結局は遠征から帰れずに、白鳥になって飛び立つ
最終的に成功していないので
判官びいきの日本人にとっては人気が出るのでしょう

ヤマトタケルの幼名は小碓尊。(おうすのみこと)

第十二代景行天皇の長子・大碓と次子・小碓は「一日に同じ胞にして雙(双)に生れませり」と
『日本書紀』に記されています。
双子だった。

お兄さんの大碓は日本書紀では、お父さんの怒りをかい、追放されます。
古事記では、小碓尊が大碓を殺したことになっている

空想
ここからは、何の根拠もない私の空想です。

関東には、大和と並ぶほどの一大文化圏が存在していたのではないか
前回お話ししたように、元々はスサノオを中心とする出雲勢力が移り住んだかもしれない

「征伐」というよりは、お互いに認め合う同盟関係にあったのでは
嫁にやったりもらったりという血縁関係を深めていった。
そして、同盟関係強化の切り札がヤマトタケル

昔、双子は忌み嫌われ、一方は殺されたり捨てられたりしたので
だからお父さんに嫌われたのではないか
普通に考えて出されるのは弟の方なので、
出されたのは大碓ではなく、小碓
同盟関係にある関東に養子に出された
たまたま関東では跡継ぎがいなかったので、小碓が関東を治めるようになる
統一の実現

この筋書きなら、関東でヤマトタケルが大人気になるのもおかしくはない

景行天皇の死後、ヤマトタケルの弟、成務天皇が継ぎますが子供ができなかったので
その次はヤマトタケルの息子仲哀天皇が次の天皇になります。

関東の覇者でありながらそのものズバリの「ヤマト」タケルの名前をもらったのは
元々ヤマトだという事をよほど強調したかった

ちょっと考えすぎかな

[東京]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です