[首相]39 佐藤栄作。沖縄の本土復帰

佐藤栄作。いよいよ、私が記憶がある首相になりました

佐藤栄作
岸信介の弟
吉田学校の中心的な人物になります

最も記憶しているのが、やめたとき
小学校の階段のところの黒板に
「佐藤栄作 長かった7年半」と書いてあったこと
学校の中で政治の事が書いてあるって初めてだったから
強烈に印象に残った
私の中では佐藤栄作=「長かった7年半」なのです

在職日数は2798日
安倍晋三、桂太郎に次ぐ3番目に長い
連続日数でいうと、安倍晋三に次いで2番目

池田勇人が病に倒れ、池田勇人から指名された事で、念願の首相の座に着く
池田勇人内閣をそっくりそのまま継承しての第一次内閣スタートだった
在職期間中に、アポロ11号月面着陸があり、大阪万博があり
札幌オリンピックもあった

アポロはテレビで見て異世界の光景にびっくり
大阪万博は何度か行って大きな思い出のひとつだし
札幌オリンピックはスピードスケートとジャンプ
クラスの男子はみんな真似していたなあ
後ろからズボンのベルト持ってもらって

よど号ハイジャックや浅間山荘事件もあった

7年半の中で、佐藤がずっと執念を持って取り組み続けたのが、沖縄本土復帰
まずは、先だって1968年に小笠原諸島の返還
その時に、記者から、小笠原諸島での核兵器の取扱いを聞かれた

本土並み、つまり、持たず、作らず、持ち込ませず、を遵守する

これが、非核三原則し呼ばれるようになる
ノーベル平和賞をもらう事になったとき、ええ?それはどうなの?、と思ったけど
その後、世界で色んな紛争が起きるなかで、
非核三原則は生きていて、日本を守ってくれている気がする

長い長い交渉がとうとう実り
1972年、沖縄が本土に復帰する

その記念式典の1ヶ月後、やりきった感があったのか
自ら幕を下ろす

ところが、退任会見が異例なものになった
沖縄密約事件等があり、新聞記者が批判を強める
もともと新聞記者が大嫌い
テレビだけを相手に退任会見をしたかったのだが
秘書官に意見され、新聞記者も入れることになった

総理からテレビカメラが見えにくく、テレビカメラがないと勘違い
突然怒り出し
「新聞記者とは話さない。偏向的な新聞記者は大嫌いだ」と言って総理室に引き上げてしまう
勘違いだったことが分かり、会見場に戻るが
今度は新聞記者が黙っちゃいない
口論になり
それなら出て行ってください
おい、全部出ようや

売り言葉に買い言葉
がらんどうになった会見場でテレビカメラを相手に淡々と退任会見を行った

[首相]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です