足利将軍シリーズ
印象がとても薄い将軍です
[4代目から]モカの釜ヒタヒタね澄んで晴れてるひでー秋、の2つ目の「カ」です

義勝(よしかつ)
強烈な印象だった義教(よしのり)が、家臣に殺される大事件
次の将軍は嫡男千也茶丸(義勝)と決まったものの当時8歳
何かができる訳ありません
管領の細川持之が実際には取り仕切ります
若くして将軍になるということはそれほど珍しい事ではない
一時的に誰かが実質的に取り仕切っていたとしても
それなりの年齢になると自分の色を出すようになってくるもの
ところが義勝はそうならなかった

義勝の次の将軍は義政、
義勝の弟で、征夷大将軍になったのが文安6(1449)年なので
年表上、あたかも、7年ほど義勝の時代があるように見えるのだけれど
実はそうではない
義勝は翌年9歳で無理矢理元服
ここから将軍にになるわけだけど、その僅か8ヵ月後の10歳にしてこの世を去る
義政は弟なわけだから10歳より若い8歳
14歳で元服するまでは征夷大将軍はお預けで
その間は将軍は空席だった
義勝が何をしたか、どんな人物だったのか
ほとんど記録が残っていない
影が薄いのも仕方ありません
生まれた時はかなり詳しく記録が残っています
裏松(日野)重子が待望の男の子を生んだ
お父さんの義教は大喜び
出産後すぐに産所に赴き、自らへその緒を切り落としている
二日後また出向いていって、お湯初めの儀式
自らひしゃくでお湯をかけてあげている
こののち10人ほど男の子は生まれているが
実際に足を運んだのはこの時だけ
影響
義教暗殺(嘉吉の乱)後、幼少の将軍二人が続いて、
実質将軍不在になるこの時期の影響を見ていきましょう
義教は、恐怖政治で、どんどん気に入らない大名を粛清し
有力大名の家督を入れ換えさせていたので
義教が死んだ事で反義教派が復活していきます
とはいえ、各家では、入れ換えられた家督相続者もいるわけで
あっちでもこっちでも家督争いが激化します
実質将軍不在なので、将軍が手を打つことはできません
相対的に大名は力を持ちつつの内部分裂
畠山氏がその典型
義教を暗殺した播磨の赤松氏を征伐したのは隣の山名宗全
一度力を削がれていましたが、復活します
このような状況が
このあとの応仁の乱に繋がっていくのです。