[天皇]105 後奈良。二人の将軍の間で

[天皇]104 後柏原。20年越しの即位
の続きです

後奈良天皇

この時期、朝廷は貧乏の極地なので、譲位するお金もなく
一人一人の在位期間が長い長い
足利将軍のブログに時代を合わせながら書いていっていますので
天皇シリーズはポツポツになってしまっています

その前の後柏原もそうでしたが、この時期の天皇は践祚(せんそ)から即位までがとても長い
前の天皇から引き継ぐと践祚というけど、内外にお披露目をする「即位式」をしないと
本当の意味での天皇ではない
後奈良の場合は、践祚から即位まで10年もかかった

お金がなくて、即位式を開催できないから

後奈良の時代の将軍は義晴
普通は即位式の費用は将軍が出すんだけど
義晴って例の義維(よしつな)との二人将軍時代
[足利将軍]12 義晴。またもや二人の将軍
義晴も義維も天皇の即位式費用どころの騒ぎじゃない
こっちだって金がない

後奈良とすると、どっちかに肩入れすると共倒れになる恐れがある
どちらにも良い顔を見せておいて
金を両方から引き出したいところ

まずは義維に、征夷大将軍になる前の登竜門である「左馬頭(さまのかみ)」の地位を与えた
結局、いくら天皇に力がなくなっていても、こういった任命権がある以上は、
強い存在価値を持つ事になる

左馬頭を与えるので上洛しなさい

ところがいつまでたっても義維は京都に上洛しない
二人の将軍力が均衡していたので、どちらも京都には行けず
義維は堺で、義晴は近江で陣を構え、膠着状態

京都に来ないんじゃ、費用も無理か
今度は義晴に声かけるか

義晴だって近江から出られないし、何かとそれどころじゃないんだけど
二人将軍であれば、天皇と良い関係を築いておきたい
義維より自分こそが正当な将軍だと主張する最も大きな切り札は
「征夷大将軍」だと任命してもらうこと
天皇の希望することはできるだけ聞こうとする

義晴の方が良さそうだな
結局、征夷大将軍は義晴に与える

とはいえ、義晴だって貧乏、
無いものは無い、と結局即位式費用を捻出することが出来なかった
即位式までは無理だけど、こんなのは協力できるよと持ち出した案が、改元
大永から享禄への改元、そして天文への改元
この費用は出した
義維との和睦が決裂した時
こっちが一歩リードさ、ってアピール
義維は面白くないので、しばらく大永を使い続けた
また、義晴は、天皇の警護役などの役割も引き受けた

改元はできても即位式はまだ。次の手を考えるか

時代は戦国時代、相対的に将軍より、各戦国大名がどんどん力をつけていっている

その時代に全国で一番金回りが良かったのが周防山口の大内義隆
日明貿易で多額の資金を得ていた

武士が任官を希望するときは、将軍に申し出て、将軍の推挙を経て天皇から任官される
ところが、大内義隆は将軍の推挙を受けずに、
直接天皇から「太宰大弐(だざいだいに)」に任官された
ただ、天皇としてもまずいと思ったのか、一度取り消されている
その後やっぱり任官

結局、大内義隆からの巨額の寄付を得て、即位式が実現している

太宰大弐は将軍の推挙を得ていないので、大内義隆としても
武士の世界の中で公に使うことはしていない
ただ、これは「前例」なったので、これ以降、
大名は将軍の推挙を受けずに任官されることが当たり前になっていく

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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