[足利将軍]12 義晴。またもや二人の将軍
の続きです
義輝(よしてる)
(4代から)モカの釜ヒタヒタね澄んで晴れてるひでー秋
の「てる」
最後に近くなってきました
12代義晴が最も怖かったのが、もうひとりの将軍義維(よしつな)
なんとしても義維には将軍を渡すまいと
赤ん坊のうちから嫡男義輝(よしてる)を宮中に参内(さんだい)させた
義輝が11歳になるやいなや、元服させ、将軍の地位も譲ろうとした
自分も11歳で将軍になりましたから
細川晴元と六角定頼という「二枚看板」のうち、細川晴元が
細川内の抗争で細川氏綱によって京都を追い出されたため、すんなりはいかなかったが
なんとか義輝に譲ることができた
一旦畿内に平和が訪れたが、2年と続かなかった
細川晴元の重臣、三好長慶(ながよし)が急激に力をつけてきた
細川晴元は家臣ながらも、力を持ちすぎた三好を恐れるようになり
三好を討とうとする
ところが、三好は強かった
大勝し、なんと京都が三好の手に落ちた
その戦いの中、
その戦いの中で、12代義晴が亡くなった
この時、義輝は15歳
当面の課題は、三好と戦い、京都奪還
そんな中、これまた重臣の伊勢貞親(さだちか)に裏切られ
伊勢は三好側についてしまう
絶体絶命のピンチ
ところが、三好長慶から和解の提案があった
助かったあ
三好長慶は義輝の重臣に戻る
再び反乱されても困るので、三好の言いなり
伊勢貞親も許して戻した
ただ、そうなると面白くないのは、その他の家臣たち
裏切り者だよね、おかしくない?
家臣たちが真っ二つに分かれる
困ったどうしよう
迷いに迷ったが、反三好派の言っていることはもっともだし
反三好派かなあ
はい、この判断が大間違い
三好は力があるわけですから、
再び戦になり
京都は三好の手になり
義輝は京都を追われる事になる
しかも、反三好派の家臣たち
三好から、「将軍につくものは所領を没収する」と脅されると
なだれをうって、三好に寝返っていった
三好はどうするか
自分は将軍ではないから
いくら軍事力があったところで
新たな将軍を立てない限り自分の自由にはならない
義維(よしつな)を擁立しようとするがこれは失敗
次の手を打てぬまま、膠着状態が続いていった
5年がたった時、義輝側に新たな味方ができた
大阪本願寺
この軍事力が加わったので、義輝はこの時とばかり京都を攻める
大激戦
結局、三好から和議の提案
今度はほぼ互角な中での和議
結局5年の膠着状態の中で
お互いが相手を利用した方が得だと分かった
平和が訪れた
今度こそお互いのバランスが続くかと思われた
ところが、三好が自滅していく
三好長慶を支えてきた弟たちが次々と病没していき
三好長慶の後継者の長男も病没
とうとう三好長慶自身も病気で亡くなってしまった
一方の義輝は着々と将軍としての地盤を固めていく
抗争しあう大名たちからの要請を受け
仲介を進めていく
そのような中で力のある大名と良い関係を築いていった
尼子氏、毛利氏、大友氏、島津氏
そして上杉謙信
ようやく平和が訪れるのか
今度こそそうなりそうだった
ところが
自滅を重ねた三好氏の新たな当主となった三好義継と
その家臣の松永久通に率いられた一万の軍勢が
1565年、将軍御所を包囲
「将軍に訴えたいことあり」
その兵のうちのいずれかが「やりすぎ」てしまった
将軍義輝を討ち取っちゃった
義輝死去
30歳だった