外交資料館に行って来ました
の続きです
明治
明治維新です

江戸幕府の中では超切れ者の岩瀬忠震(いわせただなり)等が交渉にあたり、
各国と結んだ条約ですが
ずっと鎖国していた訳ですから、持っている情報には限界があります
引き継いだ新政府が良く良く見てみると、不平等な内容
大きくは二つ
1.関税自主権
外国からの輸入品に関税をかけるときに、その税率を自由に決められない
そうなると、外国の安い商品が入ってきすぎ、国内の産業を保護できない
2.領事裁判権
国内で外国人が犯罪を犯したとき、日本で裁判できない
これは国の一大事。
改正してもらわなきゃ
と、国のそうそうたるメンバーが交渉のためアメリカへ
岩倉具視使節団です

色んな物を視察し、大感激で良かったのですが
条約改正の交渉としては大惨敗
もう一回勉強し直してから来ないと、何ともならん
すごすごと帰国することになります
ここから、とても長い期間に渡る、条約改正への道のりが始まるのです


■寺島宗則(てらしまむねのり)
アメリカと交渉して関税自主権の方は改正できた
やったぜ
でも、アメリカとだけ成功しても、イギリスやドイツが賛成しない限り有効にならないものだった
イギリスやドイツが反対したため無効になっちゃった。
残念
■井上馨(いのうえかおる)
渋沢栄一の上司です
寺島の結果で学習したので、よし一気に対象の国全部と交渉しよう
関係国全部、東京に呼んで会議
外国の要人に好印象を与えるため
鹿鳴館を建てて、ダンスパーティー
それなりの効果はあったのですが
鹿鳴館って贅沢なんじゃないの?
と国民の不満が募る
そんなときに、ノルマントン号事件がおきる
外国人が船長の船が沈没
外国人は全員助かったのに、日本人は全員死んじゃった
船長の責任問題を問おうと思っても「領事裁判権」があるため裁判できない
国民の不満が大爆発

井上馨は「だからそれを改正しようと頑張ってるんじゃない」と言いたいところですが
責任をとって辞任
■大隈重信(おおくましげのぶ)
黒田清隆首相の元での外務大臣
井上馨の全員集める方法はいまいちだと、個別に交渉するように再度方針転換
アメリカとの調印に成功し、続いてドイツ、ロシアとも調印
今度こそ
ところが、条約文とは別の裏取引があり
大審院の判事に外国人判事を認めるとのことが、ロンドンタイムスにスッパ抜かれた
「領事裁判権」と大して変わらんじゃないかと、大批判をあびる
怒った右翼団体、玄洋社の来島恒喜が大隈に爆弾を投げつける
大隈の右足が重症。大隈は右足の切断を決意
その後、大隈の右足は義足です

大隈辞任
■青木周蔵(あおきしゅうぞう)
今度は、イギリスと交渉
領事裁判権と関税自主権を5~6年後に完全回復で交渉成立
行けそう
ところが、ここでまた事件。大津事件と言います
ロシアのニコライ皇太子が訪日。滋賀県大津にいるとき
津田三蔵という巡査長が、皇太子を襲い、怪我を負わせる
大騒ぎになり、青木は引責辞任
交渉は榎本武揚(えのもとたてあき)が引き継ぐがうまくいかなかった
■陸奥宗光(むつむねみつ)
いよいよ「成功」に入っていきますよ
伊藤博文内閣での外務大臣
イギリスと交渉
細かい実務は、その前に良いところまで行った青木周蔵を駐英兼駐独公使として起用し、任せる
5年据え置きながらも、今度こそちゃんと成立
国際情勢も変化してきており、ロシアがシベリア鉄道を建設したため、
イギリスはそれを脅威に感じていた
日英通商航海条約を締結
明治27年、ああ長かった
その後、列強5ヶ国とも調印
据え置きの5年後に発効したときは、山県有朋内閣で青木周蔵が外務大臣に返り咲き
ちなみに、陸奥宗光は奥さんが超美人です
■小村寿太郎(こむらじゅたろう)
日清戦争、日露戦争を経たあと
だいぶ日本も各国に認められるようになった
桂太郎内閣での外務大臣、小村寿太郎
総仕上げです
12ヶ国と関税自主権の回復
明治44年です