[天皇]106 正親町。120年ぶりの譲位

天皇シリーズ
[天皇]105 後奈良。二人の将軍の間で
の続きです

正親町(おおぎまち)
1557~86年

戦国時代の天皇は、践祚(せんそ)しても即位礼がなかなか行えないというような事が続いた
お金がないという原因
朝廷にお金がないのもそうだけれど、費用を頼っていた将軍家も戦乱に明け暮れ、金がなかった

それぞれの在位期間はとても長い
譲位しようとしても費用が出ず
先代が亡くなっての践祚になるので、長くなる
正親町に関しても、在位期間が30年ととても長い
13代将軍義輝(よしてる)の時に始まり
14代義栄(よしひで)、15代義昭(よしあき)
そして織田信長、さらには豊臣秀吉と
とても長い期間に渡る

元号
改元は原則、将軍等から奏上されて、天皇が決める
天皇としては一大イベントなんだけど、これにもかなりの金がかかる
正親町天皇践祚のタイミングで、弘治から永禄に変わっている
それが、将軍義輝に伝えられなかったようで
将軍と天皇の間がギクシャクする

例によって即位式は将軍家から費用が出ず3年間できずじまい
3年後に費用を負担したのは、将軍ではなく毛利元就だった
さらに、永禄7年は60年に一度やって来る甲子の年
その年に、改元するのは決まりごとみたいなものだけど
改元の奏上をしたのは、将軍ではなく、松永久秀だった
結論的には、この改元は行えなかった
甲子の年に改元できないのはかなり異例

14代義栄は結局入京出来ないまま亡くなる
代わりに入京したのが義昭と織田信長
義昭から奏上され「元亀」に改元される
その後、義昭と織田信長の関係が悪化すると
今度は織田信長から奏上されて「天正」に改元される

譲位
となると天皇の次なる願いは譲位
譲位して院政は、天皇の永年の夢
天皇が力を持っていた時の象徴でもある

織田信長が譲位を提案

えっ、ほんとですか?
何せ最後の譲位は、後花園天皇が後土御門天皇に譲位した1464年
応仁の乱の少し前
応仁の乱後は全く譲位できていない

ところがいざとなると、信長側でそれどころじゃなくなった
数々の戦が立て続けにおこる

ある程度信長が落ち着いてきた、天正9年
再び、譲位の話が持ち上がる
天皇が、信長を左大臣に任じようとする
息子の誠仁親王への譲位との交換条件

分かりました、OKです

ところが、実際にはこの時の譲位は行われなかった
翌年の大事件
本能寺の変です

引き継いだ豊臣秀吉
譲位に向けての動きを本格化する

天皇譲位後の院政を行う住まいを造営
正親町、おおぎまちって変わった名前だけど
その住まいの置かれた京都の地名

ところが、いよいよって時に二つの悲劇が襲う
ひとつは大地震
被害は甚大で、ちょっと延期
更なる悲劇
なんと、譲位する先の誠仁親王が病気で亡くなっちゃった

譲位したかったのにぃ

この時のためにどれだけ準備をしてきたのか
諦めきれないよ


ひらめいた!

ってことで、孫の和仁に譲位
後陽成天皇です

正親町70歳でした

最後の譲位から実に120年ぶりの事でした

[天皇]シリーズはこちら(少し下げてね)

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