2代将軍、秀忠はぺっしゃんこ

増上寺のミイラ当てクイズ以降、徳川15代将軍に興味を持ちました。

一人ずつ書いていこうかなと思ったんですが、はたと困った。

一人目は家康か
私のような日本史の新参者に扱えるような人物ではございません。

うんうん、唸ってみました。

唸っただけです。
諦めました。
あっさり。

2代、秀忠から
とは言え、秀忠としても、まだまだ、戦国時代の人。
戦国時代は弱いので、
関ヶ原の遅参のようなメジャーなテーマは避けましょう。

お墓
やっぱり、増上寺のこの話題からです。

増上寺のすべての将軍の墓地の中、秀忠だけは別格。
他は北霊域にあるのに対し、秀忠だけは、南霊域。
規模的にもどでかい。

霊廟(れいびょう)という建物も、ものすごかったらしいんですが、
空襲で一夜にして全焼。

墓地改装のため、掘り返した。
縦横高さ1m80cmずつの真四角な石室が現れる。

その中に、小石がびっしり詰まっている
それを丁寧に取り除くと木棺が現れた。
その中にも土の混じった小石が詰まっていた。
小石の重みで木棺が潰れたと思われます。

遺体がない
木棺の底近くまで、小石を取り除く。
副葬品がいくつかと、袋がひとつあっただけ。
遺体はどこに。

念の為、袋を持ち帰り、レントゲン写真を取ってみた。
すると、骨の後が浮かび上がる。

提灯をたたんだ感じ。
上からクシャッとぺっちゃんこ。
ど根性ガエル状態です。

残念ながら、頭蓋骨は分からなかったので、顔や頭の形は分からなかったんですが
筋肉質であること、すね毛等が毛深かったことが分かったらしい。
すごい技術です。
ぺっしゃんこなのになんでそんな事がわかるんでしょう。

やった事
父が偉大すぎたので影にかくれてしまいがちだが、なかなかどうして。

公家諸法度・武家諸法度を制定し、
家康には出来なかった、豊臣恩顧の大名を次々に改易
幕府の基盤を固めた
偉いぞ、秀忠。

お江(ごう)
奥様のお江はかなり恐妻家だったらしい。
わかるよ、わかるよ、その気持ち。
辛かったろうねえ。

さらに、嫉妬深かった。
お江以外には目もくれず
のはずだったのが、
一生のうち、たった一度だけ、江戸城の女中だった静に、手を出しちゃう。
その一度だけで、生まれた子供が、保科正之

そんなことがバレたらただでは済みません。
おそらく、その時点でぺっしゃんこ。

ひたすら隠します。
おそらく、最後まで隠し通せたはず。
当の本人、保科正之がどういう人生を辿るか。
この辺の悲しき物語は、また今度ね

2代将軍、秀忠はぺっしゃんこ」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: [徳川名参謀]2秀忠→天海は化け物。 | でーこんのあちこちコラム

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です