江戸時代は農民含めそこそこ裕福だった。

大江戸開府四百年、という本、とても魅力的かつ感動的な本でした。

行政側の人数は極端に少なく、ほとんど庶民が自主的に運営していたこと。
権あるものは禄少なく、という基本方針
など、
知らなかった江戸時代の基本的なベースとなっている、考え方や事実や習慣。
勘違いしていたというより、考えてもいなかった事ばかりなんだけど
全くイメージしていなくて、びっくり、という事ばかりでした。

今回は人々の裕福さです。

そこそこ裕福
先に文明開花に興味を持って、文明開花大好きってなった私としては
江戸時代を深く調べていく前は、
どうしてもビンボーイメージしかありませんでした。

鎖国方針をとっちゃったがゆえに、
世界から大きく取り残された日本。
庶民はキツキツカツカツで暮らしていて
明治維新で欧米文化に触れ、一気に豊かな生活を手に入れた。

そう思っていましたが、どうも違うようです。

はっきりいって、貧乏なのはむしろ武士だけで
農工商はそこそこ裕福でした。

市民革命ではない
よく考えると、日本は世界の歴史で通る道、市民革命を経験していません。
為政者が自分達の利益に走り、市民から搾取する
市民は怒りが頂点に達して革命を起こす
というパターンを経験していない。

明治維新はあくまでも外圧。
開国シナサーイ、と言われて
えらいこっちゃ、と世の中がパニクって
すったもんだあって、開国したわけで
きっかけは庶民の不満の爆発ではない。

ついでに言うと、為政者が庶民に対して虐殺を行ったという歴史も経ていない。

大きく言うと、政府と庶民はうまくやっていた。

太閤検地
時代は、秀吉の行った太閤検地まで遡ります。
秀吉は新田を開発すれば、農民の耕作権を認めますよ、
という大方向転換を行った。
農民はやる気満々。

その時、土地を調べて、
お宅はこれ位だから
権利は認めるけど、年貢はちゃんと払ってね

その年貢の割合は、40%~50%

こう書けば、すっごい、重税のような気がしますよね。
ところが、江戸時代になってどんどん状況が変わってくる。

江戸時代にさらに新田の開発が進んでいく。
江戸後期にもなると、前期のほぼ倍にまで広がります。

ところが、いい加減なもので、太閤検地はほとんど改訂されていない。
すなわち、広げたところはまるまる年貢を払わなくて良い。

次に生産効率。
かなり農器具が開発されていく。
どんどん生産効率がアップしていくのに
太閤検地の時の、これくらいの広さだからこれくらいとれる筈という基準のまま。
そうなると、農民も真剣。
農書という参考書を読んで、効率アップの方法を勉強していく。

正確に言うと寺子屋は武士だけなので、
それ以外は手習いと言うんだけど
農民も自分の子供を金を払って
そういう塾に行かせて勉強させる。
ほぼ100%に近い。
そうやって、みんなが農書を読め、
またもっと良いやり方の農書を書いて
それが売れる。
義務教育じゃないのに
ほぼ100%手習いに行かせるという事自体
どれだけ裕福だったかの証明になりますね。
おかげで何と識字率は85%
置いてきぼりをくらっている筈の西洋の先進諸国のどこよりも
圧倒的に高い。

さらに、作物。
稲ばかりを作っているわけではない。
江戸の町がどんどん裕福になるので、
いろんな食べ物を食べたがる。
稲より高く売れる野菜等の作物
あるいは、蚕を飼って、絹を作ったりするとかなりの高い金額で売れる。
年貢の対象外。

極めつけが農業以外。
農民は教育が行き届いて頭が良くなっているから
もっと色んなことが出来る。
兼業農家でガンガン稼ぐ。
例えば、豆を作ったら、加工して豆腐まで作っちゃうと
もっと高く売れる。
農と工商の境なんてないに等しい。
当然年貢の対象外。

どう計るかの基準が難しいけど
本では年貢の負担割合は10%から20%くらいじゃないかと。
平均なので、もっと頭の良い人は10%に満たないよって人もいたでしょう。

取り立てる側は事情が分かってなくて
生かさず殺さずみたいなことをいつまでも思っていて
そういう書類は残っているんだけど
あくまでも公式のもの

農民側は、
今日明日食べるのもやっとでございます。
といっておいて
外に一歩出れば、舌をペロッと出すんでしょうね。

一揆
じゃあ、一揆って何なんでしょう。
飢饉とかが何回か起きて、一揆とか打ち壊しとかが起きる。
これって、不満の爆発ではないのか。

結論的に言うと、確かにそう。
ただ、それは例外。
260年の長い江戸時代の中で、
ほんの数回起きている例外ケース。
あくまでも、原則の方は上で述べた総じて裕福って方。
もちろん個人的には例外もあって、貧乏な人はいて
今のマスコミ同様、例外的な方がむしろ取り上げられやすくて
記録に残るんだけど、
その辺注意して、全体的一般的な物事の見方をしないと間違っちゃう。

江戸時代は今と比べて平均気温が低い。
隅田川に氷が張るほど。
いくら生産効率が上がっていても
気象の大きな変化には影響を受けやすかった。

飢饉がある程度の周期でやって来たことは事実です。
そんなときに、一揆や打ち壊しは起きていますが
田沼意次の時にもお話ししましたが
為政者に対する不満爆発ではなく、
米の買い占めをした一部の店に対する抗議なので
礼儀正しく打ち壊しがされている。

長くなりましたので、続きはまた次回に

索引はこちら
[江戸の文化]シリーズはこちら(少し下げてね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です